スキンヘッドか天パーか

滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。

私と息子二人の髪の毛はたいてい妻にバリカンで丸刈りにしてもらいます。
私がいつも丸刈りなためか、息子達も全く嫌がらずに同じ髪型になっています。
世の中がスキンヘッドとか、ファッショナブルな用語で表現されるようになった影響もあるのかな、と思います。

お坊さんは、正確にはバリカンだけでなくカミソリで剃りあげて「剃髪」します。
そうすることの意味は色々と言われているようです。

一つ目は、髪の毛があると気が散って修行の妨げになるから、というもの。
伸びてきたな、とか、どんな髪型にしようか、とか、薄くなってきたな、とか、あっても無くても気持ちが取られて修行に身が入らなくなるから、との理由です。

これ、よく分かります。私が丸刈りにする理由も大体これ。気にしなくて良い、考えなくて良いからです。

二つ目は、髪の毛を欲望・煩悩の象徴と捉える、というもの。
欲望や煩悩の気持ちは、断ち切ることが離しく、いったん断ち切ったとしても、再び湧き起こってきます。髪の毛を似たものと捉え、煩悩が起これば断ち切る、時聞が経ってまた起これば再び断ち切る、という修行の姿を表しているというものです。

ところでお釈迦様は出家されたときには剃髪されましたが、悟りをひらかれた後は髪の毛があり、仏像にも螺髪(らほつ)と呼ばれる髪の毛が表現されています。
仏典には、その髪の様子が「毛上向相(もうじょうこうそう)」と書かれ、「体の全ての毛の先端が全て上になびき、右に巻いている」状態と言われています。

うん、超天パーですね。