面倒臭さと煩わしさの中から生まれるもの

滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。

市役所の時の先輩で、神社の神主もされている方が、地域のどんど祭りの投稿をされていました。
地域の人は先輩に対して、雨の中の開催をねぎらったり、年末年始に流行病にかかられていたことを気遣っておられました。

先輩がそんな中で感想として書かれていた、
「地域の集まりに顔を出していると実感するのが『面倒臭さと煩わしさがあるからこそ、お互いに関心や配慮や生まれる』ということ。
住み慣れた地域で年齢や立場、考え方の違う人と共に生きる“地域共生”は、ここにある(ここにもある)んじゃないかなぁ、知らんけど😁
という言葉にそうだよなぁ、と頷いていました。

お寺を維持するにしても、全てをお金でまかなってしまうことも無尽蔵にあれば出来なくはないです。ただそうした時には、みんなが用事がある時だけやってくる観光寺院になってしまうでしょう。

先輩が言うところの、お互いの関心と配慮というところから、みんなが少しずつ自分の時間と労力を出して「地域社会」や「共同体」としてのお寺を自らを作っていく。
そうして自分たちで築き上げたお寺が今も残っているのだと思います。

ただ、地域もお寺も、高齢化と都市部への転出によって、その少しずつの時間と労力が出せなくなってきています。
出せない分をお金での対応に置き換えると、今度は共に作り上げていくものではなくなっていく。

どうすればいいのか、常に悩むところです。