滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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GLAYのTAKUROさんの子育てに関する記事を読みました。
記事の中ではTAKUROさんが試行錯誤しながら父親になっていく姿が語られていますが、一番良く出てくる言葉が「リスペクト」
相手が我が子であってもその姿勢を貫くコメントを返されています。
「(我が家では)子どもの頃から“子”じゃなく1人の“個”として接してきました。」
記事中
「これまた賛否両論ありそうだけど(笑)、子どもならまぁ「○○が欲しい」って泣きじゃくることがあるじゃないですか。例外なくうちの娘にもそういう頃があったんだけども、泣く娘に「泣いたところで何も始まらない。まずその涙を止めて、なぜそれが欲しいのか話してみなさい。話し合いをしなければ、あなたの欲しいものは得られません」というようなことを言った気がします。」
そして、親としての自分を客観視しして、なぜ子どもにそうした感情を抱くのか、なぜその言葉をかけようとするのかを分析されています。
「まず“子育てする”という作業自体が、大前提として自分を知ることより他ならないじゃないですか。」
記事中
親として同じような姿勢で、なおかつ試行錯誤ではなくて、確固たる信念を持って子どもに接してきたのが読売ジャイアンツやNYヤンキースでプレーした松井秀喜選手のお父さん、昌雄さんです。
幼少の頃から、「親と子どもは対等である」「子どもは親の所有物ではない」という信念を持ち、それを具体的に表す行動として、「秀さん」と子どもをさん付けで呼ばれていました。
松井選手も雑誌のインタビューで、昌雄さんのことを、
「ひとりの人間として敬意をもって接してくれていました」
Sports Graphic Number 2009年 12/24号
「どちらかといえば『放任主義』だったと思います」
「僕が決めた結論は、どんなことであろうと尊重してくれました」
「父から、「自分の道は自分で決めるように」と言われて、育てられてきました。」
と話されていました。
しかし、自分で決めさせて親は何もしない、という放任ではなく、応援し、励ます言葉を頻繁にかけていたといいます。
特に読売ジャイアンツ時代には、気付いたことをFAXし、その数は178枚にも及んだそうです。
我が身を振り返ってみれば、よその家の子どもが大抵のことをしても「元気がいいですね」と心の底から思ってニコニコとしていられるのに、我が子の時には些細なことでもイライラして声を荒げてしまいます。
よその家の子どもがどのような育ち方をしても私には関係ない、というところもあるでしょうが、我が子を対等な存在でなく所有物として思いどおりにしようとしている姿が見て取れます。
心や時間に余裕がある時は、まだしも落ち着いた言葉がけが出来ますが、そうでないと全然ダメ。
そうすると気合いや根性ではどうにもならないものだと分かります。
だからこそ、松井昌雄さんは「秀さん」と敬意を表す形を作り、自分に日々言い聞かせる形を作られたのだと思います。
「知っている」けれども「している」に出来ない私の子育て。
形作り、仕組み作りを考えていかなければならない、と記事を読んで考えました。