滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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私は浄土真宗のお寺の三男として産まれて、20歳を過ぎてから今のお寺に養子に来ました。
そのためお寺業界にずっとドップリつかっているため、一般的な感覚とややずれている面があります。
例えば本堂は、床が高めで、天井も高いので、夏は風を通すだけでだいぶ涼しいですが、冬は全然暖まらず、ストーブを付けても暖気が上にばかり上がってしまいます。
椅子に座っていても畳から寒さが上がってくるので年配の人は「行儀が悪くてごめんなさい」と言いながら、座布団を敷いて足を置いていました。
このため私は「冬の本堂は寒いもの。暖房機器もストーブか火鉢を準備するしかない」という感覚でいていました。
可愛い可愛い嫁と結婚したら嫁から「膝掛けを椅子ごとに置いたらどうかな?長めの足マットを準備して敷いておいたらどうだろう?」と言われ、「確かに」と思い実践しました。
こう書くとなんと単純なことか、と思われるでしょうが、ある業界の「常識」という沼にドップリはまっていると分からなくなるものなのです。
アインシュタインは「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクション」と言ったそうですが、まさにその通りだと感じます。
ここ最近、自分が所属しているグループから、グループのみんなに向けてお寺や仏教のことについて話をして欲しい、と依頼をいただきました。
もちろん喜んで話すのですが、業界の外からはどのように見えているかが本当に分かっていないので、そのあたりの調整がとても難しく感じます。
依頼いただいた方に事前に何が聞きたいか、これまで不思議に思ったことなどを聞くのですが、なかなか出てきません。
素朴な疑問というのはみんな持ち合わせているはずなのですが、聞くと出てこないのか、いうと恥ずかしいと思うのかなかなか言ってもらえません。
法事が始まる少し前などに参詣者が集まり出すと、よく本堂の内部などを指さしながら、何ごとか話をされています。
その話を耳をそばだてて聞いて、しばしば法話の入り口部分に用いたりします。
お釈迦様は聞く人の知識や理解度に応じて話を変えられたといいます。
話のバリエーションを持ち合わせることもさりながら、聞く人の状況の洞察力も素晴らしいということでしょう。
話の内容のブラッシュアップも大事ですが、聞いている人の状況や聞きたそうにしている内容の推察という所も大事だと準備をしながら感じたところです。