子どもの教育はサービスではない

滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬・終活のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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私には三人の子どもがいます。長男と長女は小学校に入ってから、それぞれ将棋教室とピアノ教室に通っています。
次男は来年小学校に上がるので、習い事を選ばせようと考えています。
しかし、どのような習い事がいいのか、どのように選ばせるのか、悩んでいます。

私は子どもの習い事について、親があまり口を出さない方がいいと思っています。
子どもが自分で選択をして、楽しみながら頑張っていることが大切だと思うからです。
私は将棋もピアノもできません。
教室への送り迎えをして、参考書を時々買い与えて、自主練習に付き合うだけです。
子どもの成長の程度もよく分かりません。
しかし、長男は将棋の大会への参加を希望しますし、長女は今度の発表会の曲に難易度高めのポップスを選んだようです。
子どもたちは自分のやりたいことに向かって、自分で考えて判断し、決定して行動しています。
これは、「自律」という言葉で表現できるのではないでしょうか。

自律というと、規則に沿って厳しく自分を律するというイメージがありますが、そうではありません。
千代田区立麹町中学の校長として、「宿題廃止・定期テスト廃止・固定担任制廃止」などの教育改革で話題となった工藤勇一さんは、自律とは、人の力を借りながらでも、自分で考えて判断し、決定して行動することだと言われています。
自分で自分をコントロールして歩いていけるような人間になる、ということです。

工藤さんは、人間はもともと主体的であると言われています。
しかし、親が早期の幼児教育や英語教育、音楽の情操教育などに力を入れたりすると、子どもはそれらの環境に依存してしまいます。
子どもが希望するうちはいいのですが、反発する子供もいます。
にもかかわらずその環境を強制していると、依存心の強い子どもに育ちやすくなります。
そうした子どもたちは、何かうまくいかないことがあると他人や環境のせいにするようになり、成長とともに親に反発するようになります。
また、その一方でやはり依存から逃れられないようになってしまいます。

工藤さんは、こうした状況は親が良かれと思って子どもに与えている「サービス」だと言われています。
しかし、子どもはこのサービスに慣れていってしまい、自分で決定する習慣ができないので、依存的で他人の文句ばかり言うようになります。
結果、子どもたちは「自分が勉強できないのは先生のせい」「教え方が悪い」と当たり前のように言い放ち、他責思考となるのです。

私は、子どもの教育において、親が子どもに与える「サービス」は、子どもの自律を阻害すると考えています。
子どもには、自分のやりたいことや興味のあることを自分で見つけて、自分で決めて、自分でやっていく力を育ててほしいと思っています。
そのためには、親は子どもに選択の機会を与えて、子どもの意思を尊重して、子どものやる気を応援してあげることが必要だと思います。

親は子どもの先生やコーチではありません。子どものパートナーやサポーターです。
子どもには、自分で自分をコントロールして歩いていけるような人間になってほしいと思っています。
そのためには、親は子どもに選択の機会を与えて、子どもの意思を尊重して、子どものやる気を応援してあげることが必要だと思っています。
私は子どもたちに、自分のやりたいことや興味のあることを自分で見つけて、自分で決めて、自分でやっていく力を育んでほしいと思っています。
私は子どもたちのパートナーやサポーターとして、そばにいて応援していきたいと思っています。