滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬・終活のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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これまでの日本の災害は都道府県の中で全ての地域が被害を受けるということはほぼありませんでした。
東日本大震災も多くは沿岸部が大きな被害を受け、内陸の被害は軽微とまでは言わないものの、復旧を手早く行われ、沿岸部に力がそそがれました。
今回の能登半島地震は石川県の多くが大きな被害を受け、全ての地域に対して行政が手を取られる事態となりました。
しかも震災直後から相当期間、交通網が復旧せず奥能登に行くほど、周りからの連絡手段がない状態となり、それが分かっていてもサポートに行けない状況となりました。
このため多くの被災者が外部の情報から断絶された「情報難民」になったと記事が出ています。
記事冒頭の輪島市の住民は、津波を避けるために高台に上がって以降、ラジオも携帯電話も防災無線さえも聞こえない状態が続いたそうです。
どの情報媒体であっても、機器そのものが電気を必要としたり、情報を中継する基地局に電気が必要となりますが、それらが長期停電となったために起きた事態です。
5日目に自衛隊の救助が来た時に初めて外部の情報に触れたとのこと。
ラジオでさえもなかなか使うことができなくなったというのは非常にショックな話です。
私たちの生活の何もかもが電気を使うことが前提となっているため、電気が途絶えることが長期化するとこんな事態になるのだ、と感じました。
電気の復旧は、東日本大震災の時は一週間程度、熊本地震だと5日間程度だったそうですから、これまでの災害における常識は一週間たてば何とかなる、だったと思います。
それが一か月たっても電気も水道も復旧しないのですから、これまでの常識が完全に覆っています。
能登半島地震で、被災者が情報を得た手段をアンケートで調査されると、一番多かったのは「人づて」、つまり伝聞です。
デマほどではないですが、不確かな情報で被災者が右往左往した様子も報告されています。
自衛隊から衛星携帯電話が渡されたそうですが、非常時のために使用を温存するため、やはり情報を得るためには使えなかったそうです。
たとえラジオなどが使えたとしても情報難民になる人はいます。
日本語が堪能ではない外国人や聴覚や視覚に障がいのある方です。
外国人の場合は、言葉の問題だけでなく、こうした災害時には避難所が開設されるというような、日本人なら経験的に蓄積された情報も持たないために苦労されたようです。
人間が苦しみに耐えることができなくなるのは、その苦しみの終わりが見えない時だと言います。
情報難民になる苦しみというのは、今起きた災害の苦しみそのものよりも、その苦しみの終わりが見えなくなる、ということなのだと感じます。
頻発する災害の中で、被災者が少しでも希望を見つけやすくするために、情報というものについてあらためて考える必要があると感じました。