滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬・終活のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
詳しくはこちらから。
毎日新聞のコラム欄「喫水線」で、安楽死について二度にわたって取り上げられた記事が話題になっています。
その記事の作者は、医療関係者や読者からの反響についても報告しています。
医療関係者からは、認知症が進んだら安楽死を認めるというのは、認知症の人間に尊厳がないと言うに等しいという厳しい批判が寄せられたそうです。
一方で、読者からはほぼすべて安楽死を肯定し、むしろ切実に希望する声が寄せられたそうです。
その中には、脳梗塞の後に認知症を発症した夫を看病する女性の手紙もありました。
女性は、認知症の進行に合わせて暴力的になっていく夫の様子を語り、日常会話は成り立たず、夫がデイサービスに出る時間が唯一の安息だと言います。
「認知症の人にも尊厳があるとか、認知症でも前向きに生きるとか言うが、現実を知っているのかと腹が立つ。介護殺人の加害者に共感する」と女性は言います。
そして、ふと正常を取り戻した夫からも「殺してくれ」と言われてしまうそうです。
このような実際の介護の生活に身を置いている人々の声に耳を傾けることは、安楽死の議論や制度化の前提となるべきでしょう。
しかし、それだけでは不十分だと、記者は今回のコラムで指摘しています。
記者は、安楽死の議論や制度化の前に、今足りていない福祉制度の充実を訴えています。
認知症患者を預かって手厚く介護してくれる施設が足りず、先ほどのような夫婦が大勢いるというのです。
安楽死の議論の前に、まずは貧弱な福祉がもたらす「生きづらさ」の解消が必要と唱えています。
それを抜きにすれば、経済的に苦しく、健康面で不安を抱え、福祉の恩恵が十分ではない人たちが安楽死へと導かれていくディストピア(反理想郷)になると言います。
この警告は、私たちにとっても重要なメッセージと感じます。
安楽死は、人間の尊厳や自由を守るための最後の手段であって、最初の選択肢ではないはずです。
認知症を含め、病気や障害などを得ても基礎的な生活が問題なく送れる社会があるべきです。
その前提があった上で、安楽死についての議論や制度化を進めることができるのではないでしょうか。
私は、記者の主張に賛成です。
介護制度も年々改定が加えられていますが、制度によって利用者が希望する生活が送られるようになるという基本的なことがかなえられるように変わってほしいと思います。
安楽死は、人間の最期の権利として議論の対象に上がることは否定しませんが、それは人間の生きる権利や幸せを軽視することになってはならないというのは言うまでもありません。