意識せず人に使われてしまう存在になる

滋賀県高島市住職系行政書士吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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熱で寝込んでいる間は、ひさびさにApple Watchを外して寝ました。
というのも、日々は仕事用とプライベートの携帯電話を分けているために、それぞれに連携させたApple Watchを両腕に着けているのです。
電話に、LINEに、メールに、messengerと、通知OFFにしてあるものも沢山あるのですが、それでも結構な量が来ます。

おかげで、電話の取り逃しはほぼ無く、レスポンスが早いと好評もいただいていますが、昼食後に少しウトウトしていても、どちらかの腕がブルッと震えて落ち着いて休めません。
熱を出して、充電のタイミングを逃したこともあり、横になっている間は外したままでいてました。

Apple WatchのCMで、「さあ、アクティブな方へ」というタイトルのものがあります。

自動車に乗ろうとすると自転車へ、エレベーターを使おうとすると階段へ、Apple Watchが身体を引っ張り、より健康的な運動をするように仕向けます。
それはそれで、お医者さんに言われてもできない怠惰な私達にとって良いことなのかもしれませんが、何が健康的なのかを機械に決められて、機械の言うとおりに従っている姿でもあると思います。

携帯電話を持つことからして、人に使われることを良しとしている証拠かもしれません。
人から呼び出されたときに、すぐに返事が出来ることを良いと考えているからです。
一方で、人を使っている人間は携帯電話を持つ必要はありません。
誰かを呼びたいときは、近くの人を使って電話させればいいわけです。
逆にその人を呼びたいときに、直接すぐに連絡が付かなくても、周りも仕方ない、と思っています。

そう考えると、携帯電話を2台使っている私は、意識せず自ら喜んで人に使われているのではないでしょうか。
本当にそれは自分が望んでいる姿か、少し考えさせられました。