国の責任で避難所開設を

滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬・終活のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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能登半島地震の避難所に想定以上の被災者の収容となった記事が出ていました。

あらためて記事を見るまでもなく、阪神大震災以後の大きな地震の避難所の様子を見ると、一人ひとりに十分なスペースはなく、雑魚寝となっている様子が見られます。
もともとの想定スペースで狭いところでは畳1枚分程度、広いところで3枚分程度だったそうですが、現実には想定以上の収容となりすし詰め状態となっていました。
どの街でも分散して避難したとしても、町民や市民の多くを収容できるほどの施設はないでしょう。
今回は街全体が被災しているところが多く見られたので、さらに多くの人が避難所に来られ、よりスペースが狭くなっていったと思います。

防災訓練などで、避難所内をどのように仕切って、どうデザインするか事前にやってみることがあります。
私自身が公務員時代に、市民の方も参加される防災訓練の中でやってみましたが、訓練時は幸いに晴天の日中でした。
雨天や夜間に雨にぬれたり、寒さに震えながら玄関に大勢来られたら、中のデザインをすることもできないまま、とにかく避難者を入れていくしかないと思います。
そしていったん人が入ると、あらためてデザインして動いてもらうというのもなかなか難しいでしょう。
また、訓練の時にデザインした職員が必ず避難所の担当として行けるかどうかは分かりません。
年度が替わって異動したことにより担当替えになっているかもしれませんし、被災者の一人となって駆け付けられないかもしれません。

収容スペースについて、国際的に推奨されている基準があるようですが、日本では地域事情があるから一律には当てはめられない、と内閣府が及び腰です。
記事ではこの見解に対して、最低賃金を例に出して、地域事情が異なるからといって基準を示さないのは責任放棄に等しい、と強烈に批判しています。
以前に私もコラムで書いたイタリアでは、国が災害対応の部署を設け、迅速にテントやシャワー、トイレ、料理人付きのキッチンカーを配備します。

災害時はよく「自助・共助・公助」が叫ばれます。
自助によりまずは自分の命を守る、共助によって近隣の人が命を守ることを助けるので、言ってみればこの二つはソフト面です。
公助では、今回のテーマとなった避難所などのハード面や、昨日のコラムで書いた生活再建が当てはまります。

国は災害対応も含め何かと市町村に丸投げしてきますが、能登のような小規模自治体では財政規模も小さく職員も少ないため、お金も人も回すことができません。
首都圏にある大規模自治体であれば、財政規模や職員も十分にあるでしょうが、人口も大きいためやはり難しい面があります。
また、被災自治体は職員全員が参集できるわけでもなく、災害時対応と通常業務を並行して行わなければなりません。
そうした点でも、国レベルで災害に特化してサポートしていく必要があると思います。

阪神大震災、東日本大震災、熊本地震などの地震災害や、台風などの豪雨災害など避難所が開設された例が数多くあります。
にもかかわらず、避難所については全く前進していません。
国も各自治体に任せるのはもう無理なことは分かっているはずなので、そろそろ主導して対応してほしいと思います。