滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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新聞にちょっといい話が載っていて、読んだ後に涙ぐんでしまいました。
「筆箱が結んだ縁」毎日新聞 2023/8/25
・麻薬犯罪専門の弁護士アフマドさんは、裁判所で筆箱を万引きした清掃員の女性を見かけた。
・女性は、テストで1番になった息子に筆箱をプレゼントすると約束していたが、買えなかったので手を出したと説明した。
・アフマドさんは母子のために無償で弁護し、スーパーのオーナーや裁判官に嘆願したが、刑は免れなかった。
・アフマドさんは法廷で寄付を募り、女性に筆箱代と余分なお金を渡した。
・20年後、アフマドさんは法廷で若い弁護士から声をかけられた。彼は女性の息子で、アフマドさんのおかげで弁護士になれたと感謝した。
・アフマドさんは感動して抱きしめた。両家族は異なる民族と宗教だが、お祝いの日に交流を続けている。
といった内容です。
この手の話に私は弱くて、タイのCMにある似たような話をYouTubeで見て、こちらも泣いてしまいました。
しかし、あらためてアフマドさんの話を読み返してみると、この世が地獄であることを感じます。
万引きした母親は勉強を頑張った子どもに対して約束を守ろうと筆箱を盗んでしまします。
アフマドさんは事情を知り無償で弁護を引き受けます。
お店側は万引きされたので、刑の軽減に応じません。
裁判官は裁量の範囲内で軽い刑に処します。
裁判所内でお金を寄付した人は自分の出せる範囲で寄付をします。
少年は精一杯勉強し弁護士になります。
誰一人、自分自身の私利私欲のために動いてはいませんし、自らの正義のために活動しています。
しかし、母親は軽いとは言え罪を問われ刑に処せられています。
今回は感動的な結末でしたが、例えば裁判官が情状でなく純粋に行為のみに焦点を当てたら禁固や罰金になったかもしれません。
裁判所内の人達も日本であればきっと寄付もしないでしょう。
少年が非行に走れば、そもそも感動的な話になりません。
また母親が再犯すれば、アフマドさんや裁判官の判断はどうだったのか、ということになります。
各々が自分が正しいと思うことを追求した結果で、今回は感動的な結末だけれども、ひょっとしたら悲劇的な結末もあるのではないか、と想像すると、背筋に冷たいものが走りました。
8月は盂蘭盆会がありますが、この行事の由来となった目連尊者の母親も、ひもじくしていた我が子のためにたった一度、ご飯を盗んだばかりに餓鬼道に落ちたと言われています。
お腹をすかしてなく我が子を見て、泥棒はいけないからお前に食べさせてやることは出来ない、と言える母親がいるでしょうか。
しかし、人のものを盗めば罪は罪です。
親鸞聖人が歎異抄の中で
「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし。(そうなるべき縁がもよおすならば、どのような振る舞いでもしてしまうのが私です)」
とおっしゃるとおり、積極的に罪を犯そうとせずとも罪に手を染めてしまうのが私たちです。
そうならないように心を強く持とうとしても、万引きした母親も目連尊者の母親も思わず盗んでしまったのだと思います。
親鸞聖人は、日々良い人でいようとしても、そういう突き詰めたところで、折れてしまう私たちの心に焦点を当ててお話をしてくださっているように思います。
アフマドさんの話を感動話で終わらせず、私たちがどのような心を持つ存在であるかを考えるヒントとすべきではないかと思います。