滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬・終活のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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病院などで亡くなった人の身寄りが分からないと、行政が最終的に無縁仏として埋葬を行います。
京都市で、同じ市内に兄弟が住んでいるにもかかわらず、簡易な戸籍調査のためその存在が分からなず、死亡を知らせないまま、身寄りがない無縁仏として火葬、埋葬までされていた事案がありました。
この事案では亡くなった方の知人や兄弟が、京都市に色々な場面で問い合わせたときにまずい対応があったため、問題が起きています。
ただ京都市をはじめ行政の側にもやむを得ないのかな、と感じる面があります。
京都市は戸籍調査を行い、身元の確認を実施していましたが、京都市内の戸籍だけの確認でした。
市外まで調査の範囲を広げると時間がかかるためでもあり、どこまで調査をするかは法では規定されていないからです。
昔は家族や世帯や親族、さらには地域の人とより密な関係であり、何者か分からないまま亡くなるという人はごく少数でした。
これが現在は大家族から核家族へ、さらには家族から個人へと生活の状況が変わってきており、孤立とまで言わないでも個立している人が多くいます。
亡くなられた時に身元が分からない人が昔に比べて大きく増えており、その対応が行政任せになると、どうしても手数や日数をかけない方法になります。
今回の事例を受けて京都市では身元不明者が亡くなった時の対応マニュアルが作られたことと思いますが、職員数が減少する中で、行政職員が手掛けなければならない業務が増えて、個々の事務への労力のかけ方が落ちていくこととなるでしょう。
亡くなって身元が分からない人への対応が後回しになりがちだったために起きたのが、名古屋市での遺体が葬儀埋葬されないまま放置された事案です。
名古屋市に対して「死者の尊厳を軽視している」と厳しい声が寄せられました。
それはその通りなのですが、こうした身元不明者の遺体の取り扱いが過去10年と比較して4倍以上になっているにもかかわらず、対応する職員が増やされることはありません。
何か起きれば行政任せというこれまでの慣習によって起きている事態ではないかと思います。
私の宗門の宗祖である親鸞聖人がおられた鎌倉時代などであれば、葬儀をしてもらえる人の割合の方がはるかに少なかったでしょう。
それでも地域の人などが河原に打ち捨てられた誰と分からない遺体を辛うじて埋めたり、集めて火葬したりする姿があったと聞きます。
葬儀や埋葬といったものに家族だけでなく、地域の人も含め多くの人が、「同じ人間が亡くなったのだから」と関わりあう姿が増えていかないと、結局、行政なり誰かに押し付けるばかりになるのではないかと思います。