滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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2011年3月11日、言わずと知れた東日本大震災の日です。
当時、私は市役所の財政課の職員で3月議会の最中で、一般質問の様子を庁内用のテレビで確認していました。
滋賀県でも大きな揺れを感じ、持っていたスマートフォンのワンセグ機能ですぐにテレビを付けて映像を見ました。
海岸部の映像こそ入ってきませんでしたが、都市部の定点カメラがショッピングセンターの屋上駐車場を映しており、水がやってきた中で車が右往左往していた映像を覚えています。
震災後、しばらくして職員が派遣されたりして気にはなっていましたが、自分が手を挙げるほどの勇気も持てず、どこか遠い地域の出来事という感じでした。
そして3年が経った頃、結婚して可愛い可愛い嫁が「ときわカフェ」という本山の女性の研修に参加し、陸前高田市の正徳寺の坊守 千葉寿子(ながこ)さんと出会いました。
千葉さんは震災当時の話をするとともに「皆さん、物見遊山で結構ですので、ぜひ東北を見に来てください」とおっしゃいました。
ウチの夫婦は額面どおりに言葉を受け取り、千葉さんにメールで「本当に行っていいですか?」と尋ね「ぜひ!」という返事をいただき、9月に東北へ向かいました。
車で深夜に出発し、北陸道を新潟まで走り、福島、宮城と行った所までが一日目。
そして二日目、岩手県陸前高田市に向かい、千葉さんにお出会いしました。
奇跡の一本松や本稱寺の勿忘(わすれな)の鐘、高台を作るために盛り土工事をする様子などを案内してもらいました。
そして、千葉さんのお寺である正徳寺。
震災直後は檀家さんを中心に150名ほどの方が避難され、以後140日に渡って避難所となりました。
詳細については、千葉さんのご主人のお姉さんである「千葉望」さんがライターとして連載記事を書かれていますので、リンクを貼っておきます。
お姉さんはまた、国際宗教研究所が発刊している「現代宗教2017」にお寺が避難所となったことについて寄稿されています。
この中で東北の人にとってお寺は身近な存在であることを書かれ、その象徴として地震の際に持ち出す物の一つが「位牌」であることを挙げられています。
これと対比されるのが都市部の人々で、論文の中では東日本大震災の際に東京のお寺が「帰宅難民の方が来られるかも知れない」と門を開けて準備していたが誰も来ず、毎日の通勤途上にあるにもかかわらず縁遠い存在であったことが書かれています。
その日に千葉さんと別れて南三陸町まで移動し、「南三陸ホテル観洋」に宿泊。
震災の際は宿泊客をそのまま泊め続けたところです。
翌日のホテルの震災案内のバスに乗って、南三陸町の防災庁舎などを見学しました。
東北旅行にはまさに物見遊山で出かけました。
そして3年経っても津波の痕跡が残った様子にただただ圧倒されました。
今でもまだ当寺の映像の記憶と千葉さんの話を自分の中で消化し切れていません。
そして、自分の身近なところで大きな災害があった時に、自分が果たして何かの役割を果たせるのか。
お寺を避難所として開放することが出来るのか。
これも何度考えても結論を出すことが出来ません。
実際は、災害に直面したその時に色々と腹を括れるかどうかなのだと思います。
決断できずとも考えるきっかけを与えてくださったのは千葉さんの「物見遊山で結構ですので、ぜひ東北を見に来てください」という言葉でした。
あらためて近いうちに東北にもう一度行ってみたいと思います。