滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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《注意》今回のコラムは、映画『すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』のネタバレが含まれています。
ウチの長女は、ディズニーのプリンセス系には興味がなく、好きなのは「すみっコぐらし」
最近は、アイロンビーズで作る作品もほぼすみっコぐらしのキャラクターです。
子ども達がAmazonプライムで見ていたものを時折、チラチラと見ていましたが、単なる子ども向け作品にとどまらない設定がある気がしました。
まず「すみっコ」と呼ばれるキャラクター達は、自信がなかったり、自分が何者か分からなかったり、正体を隠していたりして、ちょっぴりネガティブですみっこにいると落ち着くというキャラクターばかりです。
例えば、ウチの長女が好きな「しろくま」は寒がりで、すみっこで温かいお茶を飲んでいるときが一番落ち着つきます。
「とんかつ」は、とんかつの端っこ。お肉1%、脂身99%で油っぽいから残されてしまうので、いつか誰かに食べてもらいたいと思っています。
「とかげ」は恐竜の生き残り。捕まらないように、とかげを名乗ってとかげのフリをしています。
「しろくま」と言われれば、普通は寒い地域に住むもの、と思いますから、世間の「普通」から外れてしまった存在なわけです。
「とんかつ」はみんなが大好きな食べ物のはずなのに自分だけ除けられてしまったトラウマがあります。
「とかげ」は自分の本当の姿を知ったら、みんなが離れていってしまうと思い、本当の姿を出せずにいます。
誰もが、いつもみんなの前でキラキラした姿、協力し合う姿、賞賛してもらえる姿ではいられなくて、マイノリティの面があったり、トラウマがあったり、絶対に表には出せない内面があって、それが表に出そうな時にはこっそりと隅の方で息を潜めています。
だから、あのすみっコ達は私たちの内面にいるキャラクターなのだと思います。
《ここから映画のネタバレ》
映画『すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』は、そんなすみっコ達が絵本の世界に入って、何とか元の世界に戻ろうとする話です。
絵本の世界で出会う灰色の「ひよこ」は仲間が欲しいけれども、じぶんが何ものなのか分からない存在。
すみっコ達が、桃太郎や人魚姫やマッチ売りの少女の世界を抜け、みにくいアヒルの子の世界に行った時に、ひよこは白鳥かもしれない、と色めき立ちますが、そうではなくて、ひよこは絵本に書かれた単なる落書きだったことが分かり絶望します。
その時にすみっコ達が元の世界に戻る穴があき、ひよこも一緒においで、と誘いますが、絵本の世界の住人は絵本の中にしかいられないことに気付き、ひよこはそのまま残ります。
後日、すみっコ達が絵本の白紙のページに自分たちに似せたキャラクターの絵を描き、ひよこは絵本の世界で仲間を作って楽しく過ごす、というお話です。
今の自分ではない、みんなが認める何者かになりたいのだけれども、なることができずに絶望する「ひよこ」の姿は、学校から社会に出て功成り名なり遂げようとして、結局何者にもなれない私たちの姿に重なるものがあります。
そんなひよこはすみっこどころか、どこにも「居場所」がない存在になってしまっていますが、すみっコ達は100%の善意から、一緒にいようとします。
すみっコ達もマイノリティであったり、トラウマがあったり、みんなに明かせない部分があって、誰も余裕がある部分なんてないけれども、「共にいる」ということを選ぼうとします。
私たちの日々の生活の中の苦しみの一つは「孤独」であることです。
そして自分の心に孤独でないことを印象づけようとして、地位を高め部下を引き連れたり、名誉を得て周りから賞賛を受けようとします。
しかし、それは周りに集まる人の損得勘定で集まっているだけで、何かあればすぐに離れていきます。
すると、周りの人々は自分に対してではなく、自分の地位や名誉に対して集まっていたことに気付き愕然とします。
高校や大学の時の友人と何十年も付き合いが続いている人は多いのではないでしょうか。
あの時の友人はたまたま同じ時間と空間を共有したというだけで繋がることができ、今、どんな地位や名誉にいてるかは関係なく付き合ってくれます。
だからこそ、年一回や数年に一回しか会えなくても、その友人と心で繋がっていられる気がするのだと思います。
ひよことすみっコ達は今後生きる世界が全く異なり、出会うこともできませんが、損得勘定なしに「共にいる」ことを選ぼうとしてくれた仲間として、いつまでも心の中で繋がり合えるでしょう。
また、そういう関係を築き合える者同士だからこそ、誰かを排除することなく、すみっこで一緒にいられるのだと思います。
アニメの中にも私たちがどう生きるべきか、どう周りと関係を作っていくべきかのヒントがある気がします。