滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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子ども達は朝起きてご飯を食べ終わり、学校や園に行く準備を済ませるとテレビを見ています。
子ども達は番組の内容が楽しみですが、大人にとっては番組名で時間を測る面があるので、朝はNHK教育に固定しています。
「おはようソング」で繰り返し同じ歌が流れると自然と頭に入ってきますし、ロッチが歌う「忘れもの撲滅委員会」を頭に聞きながら子どもの忘れ物をチェックしたりします。
鳥居みゆきさんが出ている「でこぼこポン!」は発達障害をテーマに作られていて、センシティブな話を子ども達でも受け入れやすく、対応しやすく表現してくれているので感心してしまいます。
ネットで、「おかあさんといっしょ」は子どもが夢中になってみるから、その間に色々準備を済ませる「おかあさん、今のうちに!」だ、と書いてある投稿を見て「確かに!」と頷いたりしていました。
私は小さい頃はかなりテレビっ子で、NHK教育の番組はほとんど見ていました。
今でも覚えているものも沢山ありますが、ノッポさんとゴン太くんが出てくる「できるかな」は大好きでした。
ゴン太くんの遊び道具を身近なはさみやのりやテープを作る姿は子どもの目には魔法のようでした。
ノッポさんを演じていた高見嘉明さんが昨年9月に亡くなられ、本人の希望で半年ほど訃報が伏せられていたというニュースがありました。
そして、5月16日付けの毎日新聞の「火論」で「ノッポさんがしゃべった日」という記事が書かれていました。
高見さんはノッポさんを演じた20年間、イメージを壊さないために他の出演依頼を断ったそうです。
しかし、それは芸人としてせっかく得た仕事を、何かの失敗で失ってしまっては「元も子もない」という思いからだった、と後に告白されています。
そして、失敗は芸人の肥やしと考えて挑戦すべきだった、と挑戦しなかったことを後悔したそうです。
挑戦すべきだった、と気付いたのは、ノッポさんとしての出演を終え出版社に請われて「ノッポさんがしゃべった日」という自伝的小説を書いた反響からです。
高見さんは、みんなはノッポさんに興味があるのであって、高見には興味が無い、と思っておられましたが、「ノッポさんを演じた高見さん」に注目が集まり、本人も驚き著作に次の通り書かれています。
「芸人には芸域をひろげるって言葉がある。(中略)ところが未開拓の分野には不馴(な)れな自分が失敗するってことは十分に予測できるから『ああ、やめとこう。よけいなことして元も子もなくしちゃつまらない』としり込みする。
「ノッポさんがしゃべった日」(出版:丸善メイツ)
さらにこう続けた。
「あの頃のぼくは勘違いしていたんだよ。いくばくかのお金をもたらしてくれる仕事のことを元も子もだなんて。(中略)芸人にとっちゃ、その技とか力とかが元も子もってことになるんだから、(中略)その失敗の経験こそがそれになり得たものなんだ」
私が「市役所を辞める」「行政書士を開業する」と言うと、父も含め多くの人から反対されました。
「確実に稼げるか分からない」「やりたいことがあるなら退職してからやればいい」などと言われました。
私としては、「それまでの人生で得た知識や資格を本当にみんなのために使える仕事がしたい」「周りからの評価に自分が納得する働き方がしたい」「子どもや家族との時間を優先できる仕事をしたい」と思っての開業でしたが、開業したことを知ってもらうということがまず大変でした。
色々な集まりに顔を出して、自分の営業活動を繰り返しやって来ました。
間もなく6月になり開業2年目に入りますが、最近ようやく私の仕事への思いを評価して依頼してくださることが増えてきました。
勤務時間という概念もなくなり、子どもや家族とのために優先する時間以外なら、土日や夜でも仕事をするようになりました。
市役所の頃の収入にもまだまだ届きませんが、私の仕事を評価してお金をいただけることが本当にうれしく感じています。
全く未知の世界に飛び込んで、焦りも不安もありましたが、出会う人や出会う世界が桁外れに広がり、納得する働き方をし始めている、と感じます。
退職、独立・起業を考えた時に私の気持ちはまさに「できるかな」でしたが、可愛い可愛い嫁は「あなたなら何をやってもできる。ダメだったら別のことを何かやればいい」と背中を押してくれました。
新聞の記事を読んで、小さい頃から見てきたノッポさんにもひょっとしたら「できるかな」を通じて背中を押してもらっていたのかもしれない、と、あのチューリップハットを思い出していました。