気持ちを文字に遺して伝える

滋賀県高島市住職系行政書士吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
詳しくはこちらから。

「高島市働く女性の家」と協力して終活セミナーを開催しました。

終活というと介護を含め終末期のことや、葬儀、お墓のことなど死ぬ準備として受け取られがちです。
そうではなくて、死ぬまでの間に自分がしたいことや、やっておいた方がいいことなどを確認して、今生きている現在を充実してもらいたいと思いお伝えしています。

特に自分自身にまつわることや大切にしている思い出や出来事などを、周りの方々に遺言やエンディングノート、簡単なところでは手紙で、文字にして伝えることの大切さをお話ししました。

最近はセミナー中に隣の方と感想などを共有してもらう時間を多く取るようにしています。
これは、聞きっぱなしで自分だけで考えるのでなく、自分と周りでどんな受け取り方をしているか、ということを感じてもらいたい、と考えているからです。

アンケートを見ると、「終活は生きているうちにすることがはるかに多いと分かった」「隣の人と話したのが新鮮だった」「想いや感謝を元気なうちに文字にしないといけないと思った」と感想をいただきました。

セミナー後には個別相談会を設けてお話を聞いています。

今日の相談の方は、現在の家庭内での親子関係のギクシャクからの諸問題が相続時に噴出するのでは、と悩まれていました。
家族が高齢の両親に対して「車の運転を止めろ」「免許を返納しろ」と言ったり、世帯主として両親の分の税金を合わせて払うのが納得いかず世帯分離しようとしていることなどもお話しいただきました。

家族観の問題を短い時間で聞いただけでたちまちに特効薬が出せるわけではありません。
ただ例えば、ご両親がなぜ高齢でも車に乗るのかという気持ち、車に乗る以外の選択肢、その選択肢と車を所有し続けることの経費やリスクの面の比較などを情報として整理してご両親に示してみてはどうか、と案の一つとしてお伝えしました。
気持ちは他人からは変えることは出来ず、自分自身が納得して変えていくことでしか変化しないことをお伝えすると、少しすっきりされた顔をされました。
帰り際には、両親や家族と指摘し合うのでなく、それぞれの気持ちが出せる場を考えてみます、と言われこちらも少しホッとしました。

もうお一方は、以前にお母様が兄弟相続になった際に、公正証書遺言によって何も相続が無かったことに納得がいかないことをお話しされました。
もう何年も昔の話で、亡くなられた方を看病・介護されたごきょうだいがほぼ全て相続する内容だったそうです。
その時には、自分は何もサポートできなかったから、という想いもあり、特に何も言わなかったそうですが、後日のごきょうだいとのやり取りなどから納得できないものがこみ上げてきたようです。

母は法定相続人なのに何ももらえないのか?と尋ねられましたが、法定とは民法で定められているという意味だけであること、兄弟相続で遺言もあるなら遺留分もないことなどをご説明しましたが、納得のいかない顔をされていました。

この件はどれだけ説明しても納得はされないでしょうし、仮に何かのきっかけで一部の財産が渡されたとしても、それで収まるかは分かりません。
感情面での収まりが付いていない、というところが問題でしょうし、その点について亡くなられた方が、どうしてこういう分配にしたかというお気持ちを遺言の付言やお手紙、エンディングノートなどで伝えていてくださっていればこうはならなかったかもな、と思いました。

色々な相談を受ける中で、「言わなくても分かる」「当然分かってくれるはず」という言葉をよく聞きます。
しかし、自分だけで考えている時は常に自分に都合よく考えています。

浄土真宗の蓮如上人は、法話を聞いた後などは寄合談合せよ、と言われました。
寄合談合とは、ザックリ言えば、みんなで今日の話の内容をどのように受け取ったか互いに腹蔵なく話して確認せよ、という意味です。

私自身、法話やセミナーの後に感想を話に来てくださった内容が、私の意図するところと大きくずれた受け取り方がガックリとすることがなんでもあります。
もちろん私の伝える技量が不足していることもあるのでしょうが、やはり人は自分が聞きたいように人の話を聞くのだ、と感じました。
それだけに気持ちを文字にして、何度も何度も確認してもらえるように、遺言やエンディングノートを広めていかなければならない、と改めて感じました。