おせちと時代の移り変わり

滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬・終活のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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昨日の朝は意識的に子どもたちよりも後から起きるようにして、プレゼントを見つけた歓声を聞いていました。
11月後半くらいから「サンタさんにはパパからみんなのクリスマスプレゼントのリクエストを連絡しておくから言っておきなさい」と聞いておきました。
サンタさんもイブ当日は忙しいのでしょう、早いうちから我が家に届けられ、最後の配達は親が請け負いました。
子どもの歓声の中に「欲しかったものだ!」という声が聞こえたので、親もサンタもホッとしました。

良い子と言うには歳を取りすぎた親にはクリスマスの楽しみはケーキくらいです。
我が家は市内にあるケーキ屋さんに注文してオーソドックスな生クリームタイプのケーキを家族で食べました。

いまやクリスマスケーキも通販で注文する数が相当数になったようです。
高島屋のクリスマスケーキを通販で買ったところ、崩れた状態で配達されたというニュースが流れていました。

原因はまだ分かっていないようですが、冷凍状態とはいえケーキのような崩れやすい商品はそもそも無理では?と思ってしまいます。
そしてこの冷凍便は、クリスマスからしばらく経つと、おせち料理の配達になるのでしょう。
新聞内で大きく紙面を使った広告や折込チラシでも人気料亭監修のおせちの販売が宣伝されていました。

私が小さい頃は、母親がおせち料理を手作りしてくれていました。
黒豆、田作り、煮しめ、棒鱈、栗きんとん、たたきごぼうなどを作って、塩数の子を水につけて塩を抜き、買ってきた紅白のかまぼこなどを加えていました。
時代が少し経つと、作るものが減り、スーパーなどで調理されて袋に入ったものを移すようになりました。
生協などでちょっとお値段が張って、味も良いものなどを加えていたのを覚えています。
母親は三が日を過ぎたあたりで数日里帰りをしていたので、その時期はお雑煮とおせちをひたすら食べていました。

社会人になって一人暮らしをするようになると、私も一品か二品は自分で作っていました。
おせち料理のメニューはどれも手間がかかり技術も必要なので、毎年挑戦するメニューを変えて、去年は黒豆、今年は棒鱈といった感じでやっていました。
そして大みそかに実家に挨拶に行きがてらおせち料理を少し分けてもらい、自分のお重に詰めて一人おせちを楽しんでいました。
この頃からネットでおせちを頼むという文化が出て来始めていて、届いたらスカスカの中身だったなどのトラブルがみられたころです。

結婚すると、市内の仕出し屋さんのおせちを申し込むようになりました。
全ての仕出し屋さんがやっているわけではなく、よく利用するところになぜやらないのか聞くと、大みそかまで従業員をフル稼働で使い続けないとできないから、と言われてました。

今や生協でもおせちのお重が注文できる時代になりました。
もちろん単品の注文もできますし、昔に比べて有名店のものなど美味しいものが手に入りやすくなりました。
コロナ以後は市内のほぼすべての仕出し屋さんがおせちをするようになりました。
どんな機会でも売り上げを出そうとするようになったのでしょう。

おせちは概ね保存食で、年が明けて数日は料理をしなくて済むように、という意味合いがあるとも聞きます。
今は元日からスーパーが開店しているような状態ですが、三が日を終えるまでは商品棚にも年末に仕入れたものしか並んでいません。
レトルトも冷凍食品も充実している現代なのでそこまで気にしなくてもいいのかもしれませんが、おせちはガツガツ食べるようなものでもないので、暴飲暴食せずちょうど良いのかもしれません。