小学校で生き物を育てることが珍しくなった

滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
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私が小学校の頃は、理由は分からないのですが、各学年で生き物を育てることになっていました。
1、2年生はインコ、3、4年生はニワトリ、5、6年生はウサギでした。

クラス内で順に餌やり、水飲み場の水の交換、フンなどの掃除の担当が回ってきました。
私は特に思い入れもなかったので、正直なところ邪魔くさいという気持ちばかりが先に立っていました。
特に高学年のウサギについては、担当がハコベなどの野草を刈ってきてやることになっており、なおさらでした。

ちなみに学校での動物飼育について検索してみると、新型コロナ以後、大きくその割合が減っています。
感染症の問題もありますが、教員の働き方改革の影響も大きいようです。

そんな中、新聞で、ヤギを育てる小学校の記事が載っていました。

タイトルに「教員が驚く「子どもが育つ」授業」とあり、今は、日頃の活動として生き物を育てず、探究学習でやっていることがうかがえます。
餌をあげること、フンの掃除をすること、遊び場を作ることなど、生き物の世話をすることで学びがあるのは間違いないでしょう。
記事中で先生が「思い通りにならないのがいいんでしょうね。どうしたらいいんだろう?と子どもたちが考えますから」と言っています。

この先生の言葉を逆に捉えて考えるのであれば、思いどおりになること、想定できることばかりが授業や学校生活で作られているということだと思います。
確かにウチの子どもの学校の様子を見ても、朝顔やミニトマトなどの植物を育てたりはしますが、動物を育てることはありません。
それも育てやすいものばかりなので、どの子も大失敗ということはなく、一定の成果が出るものを育てることになっています。

先生としても、授業の進行も子どもの行動も先生の思いどおりになること、想定できることを期待していると思います。
先日コラムに書いたかけ算の計算順の話でもそうですが、答えが必ずあるものを教師が想定している方法でやることが期待されすぎと感じます。
そのためか教育改革の成功事例として取り上げられるのは、答えがないものを題材に考えさせるものがほとんどです。
教育改革実践家の藤原和博さんの「よのなか科」などはまさにその典型です。

学校の間は、ひたすら先生という大人の想定の中にある、必ずある答えを探し続けて、社会に出た途端に答えはないから、自分で探せ、と言われる。
しばしば大学までの学校の授業は社会での実践に役に立たない、と言われますが、答えがあるものを与えられて、それに正しく回答することが求められている点が問題なのでは、と感じます。