大学卒業時の大きな決断

滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬・終活のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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18日(木)に「未来のジャム」の第7回に参加しました。
ゲストスピーカーを招いてお話を聞き、その内容について参加者同士で話し合って、ゲストに疑問をぶつけてはまた話すといったイベントです。

この日は大学生2人がゲストスピーカーでした。
一人は高島市出身の大学3年生で高島市への愛着もありつつ、世界に向けての意識もある学生。
もう一人は神奈川県出身の大学4年生で、魚、特に淡水魚が大好きだということで、卒業後の4月から高島市内で漁師になるという学生。
二人とも高島市に対する思いや、地域、コミュニティ、淡水魚、湖魚といった自分の関心があるものへの思いなどを語られました。

お話を聞く中で色々と考えるきっかけとなったのが大学卒業後の進路についての話です。
高島市出身の方は、生まれた地域にも新たに得た知識にも関心がある状態で、今後の職業やどこで活動するのかといった色々なことに葛藤があることを話されました。
漁師になられる方は、琵琶湖の魚に関心があり、琵琶湖で漁師をしたいと思った中で受け入れてくれたのが高島市の漁師であったので、今後がどうなるかは分からないけれどもまずは飛び込んでみよう、と思われたそうです。

自分自身の大学3年生や4年生の頃を考えてみました。
高校を卒業するタイミングで、吉武家から養子の話が来ておりずっと返答を保留していました。
養子の話を受けるということはお寺を継ぐということなので、卒業後の職業の選択肢が非常に狭くなります。
一方で、人から存在を求められるという機会は一生のうちになかなか無い機会だとも思っていました。
ただ養子の話にしても、それに伴う職業の話にしても、周りからの期待に自分を沿わせている面があるなと感じます。

結局、養子の話を了承し、北大卒業後、お坊さん修行の点から大谷大学の学部に3回生編入し、その後は地元の新旭町役場に入りました。
養子に行くのは一世一代の決断でしたが、良かったのかどうかは結局、結果から見るしかないので今のところ分かりません。
ただこちらに戻ってこなければ可愛い可愛い嫁とは出会えなかったわけで、そう考えると既に正解を選んでいる気がします。

年月が経ち、家族も増え、大学生の頃には想像していなかったような生活になりました。
そして、卒業時に決断した市役所勤めは結局やめて行政書士になっています。
これはこれで大きな決断でしたが、決断後一直線というわけではなく、やる業務を少しずつ変えていって微修正を繰り返しているな、という気がします。

高島市出身の大学生の方が色々と悩まれていると思いますが、今は卒業時に見えている世界が五年後にはどうなるか分からない世界です。
また、その時の決断に一生引きずられなくても方針が転換できる良い時代です。
何か違うな、とかチャレンジしてみたい、と思ったら、少しずつ方向転換や微修正を繰り返していくことができます。

そういう点では漁師になられる方の「まずは飛び込んでみよう」という気持ちはいいな、と感じます。
自分の人生を自分で選んでいる、と感じます。

人は人生の早い時期に決めた方向性で一生を過ごしていく人ばかりではありません。
多くの人は、まず与えられた機会にやってみて軌道修正、微修正をしていく、そういう人生なのではないかな、と思います。
そうした点で、転職を決断した時、私も初めて周りの期待について考えることなく、自分で自分の人生を選んだのではないかな、と思います。