滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬・終活のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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依存症というと、ギャンブル、アルコール、万引き、買い物、大麻や覚せい剤、ゲームなど色々あります。
昨年の私のコラムでも依存症の勉強会で学んだことを取り上げました。
依存症から抜け出そうとしている方を特集した記事を読むと、きっかけは鬱屈した気持ちを一瞬でも解消した経験からのようです。
その鬱屈した気持ちは、友達より勉強ができないことであったり、異性との交際経験がないことであったりといった、俗にいうコンプレックスなのかな、と感じます。
記事の中で記者は、「依存症の人は甘えているだけ」と考えていたが、やがて「いつでも誰にでも起こり得る」と実感するようになった。と書かれています。
仕事や生き方の中で、人よりも上手くできない、と感じることはあるでしょうから、確かに誰にでも起こりうると感じます。
以前に参加した勉強会で、依存症の方は自分の状況を良いとは思っておらず、解消しようとするが、そこから抜け出せなくなっている、と学びました。
抜け出せない中で、医療施設に入ったり、事故を起こして刑務所に入ったり、逮捕されたりすることで、やっと治療に迎えるという人も多いようです。
治療にあたってよく聞くのが「自助グループ」です。
公民館などに行くと、まさに自助グループの名前で活動しておられたり、断酒会のような名前で活動しているのを見かけます。
実際に参加したことはないのですが、聞いたところでは、それぞれの体験をひたすら話し、ひたすら聞くそうです。
記事では、とにかく弱さをさらけ出すことで、互いの信頼感を生み、再び手を出そうとした時に、仲間の顔を思い出して立ち止まることもできるとあります。
この弱さをさらけ出すという所で、先ほどの人よりも劣っていると思っている鬱屈した気持ちを他人も持っているのだ、と感じられるのではないかと思います。
現代社会では、自分をひたすら強く見せていくことが求められ、弱さをさらけ出す場所がありません。
他人の心の中が分からないことから、自分だけが劣っている、自分だけがこんな気持ちになっている、と感じがちだと思います。
自助グループは回復のための団体ですが、抑止に向けても、こうした弱さをさらけ出して、それを認め合える場所が必要なのではないかと感じました。