対立でなく調和(ハーモニー)を目指すことはできないか

滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬・終活のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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先日の行政相談委員の研修会で法話をする機会があったので、私の経歴についても少しお話ししました。
すると、ワーク・ライフ・バランスを意識して公務員を退職したことに反応された方が大変多く、懇親会でも盛んにお話しいただきました。
多くの意見は「よく決断しましたね」というものです。

ワーク・ライフ・バランスという言葉は、仕事と生活の両立を目指す人々の間でよく使われます。
しかし、この言葉には、仕事と生活が対立するものとして捉えられているという前提が隠されています。
仕事は生活の一部ではないのでしょうか。
生活は仕事のためだけにあるのでしょうか。
私は、この言葉が示すような二分法的な考え方に疑問を感じます。

私の住む地域も含めて、かつての農村漁村の暮らしではワークとライフは一体化していました。
職住近接していて、家族や近所で一緒に働きながら、一緒に子育てをして、手の空いた人が共同で家事をするような状況でした。
そこでは、何をしているから偉いということは無く、生きていくために必要なことをみんなで分担して暮らしていました。

終戦後の特に高度経済成長期に工業化が進み、工場等で働く様になると、家から「通勤」して就業時間の間、どこかの建物にずっと入って、時間が終わると自宅に帰るようになりました。
都市化の進展によって核家族化も進み、祖父母や他の世帯の人が家事をしたり、子どもを見てくれることも無くなりました。
そして「仕事」と「家事・育児」が完全に切り離され、仕事は金銭を得るもの、家事・育児は金銭が得られないものと見なされるようになりました。

職場に行くことも、そこでの活動も、職場の人との飲み会も全て金銭を得るための仕事と見なされて評価されます。
一方で、毎日の家事も育児も生活に必要なもののはずなのに、金銭が生まれないから評価してもらえません。
金銭が生まれないから、どこか下に見られますが、炊事・掃除・洗濯と呼ばれるどれも欠けてしまったら評価してもらえる仕事にすら行けません。

都市化による核家族化によって、祖父母や近所の人との関係も薄くなったり切れてしまったりしました。
協力し合える関係が無い中で、産まれたばかりの子どもを見る育児は24時間で対応しなければなりません。
多くの場合、母親が一人で子どもを見ることになり「ワンオペ育児」と呼ばれるような状況になっています。

ワーク・ライフ・バランスという言葉には前述したとおり、どこか対立の要素が含まれています。
そこで、新たにワーク・ライフ・ハーモニーという言葉などを提案してみたいと思います。
ハーモニーには、調和や和音といった意味があります。

仕事と生活は、対立するものではなく、互いに調和し、互いに高め合うものであるべきだと私は考えます。
仕事は、生活の質を向上させるだけでなく、生活の中で培った経験や感性を活かすことができる場です。
生活は、仕事の成果を享受するだけでなく、仕事の中で必要なエネルギーやモチベーションを補給することができる場です。

先に述べたとおり、こうした社会になったのは戦後、しかも高度経済成長期です。
わずか70年か80年程度で大きく変化したわけですが、今、それが正しく機能していない、と多くの人が感じています。
しかし、短期間で変化したのなら、次の姿に変わるのも短時間で起きるのではないでしょうか。
今さら戦前のような様子に戻せと言われても無理ですが、変わってきた様子を踏まえて新たな姿に移ることもできると思います。

過去を懐かしむのでは無く、今の時代の中での新たな家族やワーク・ライフ・ハーモニーの在り方を探していきたいと思います。