滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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先週の土曜日はzoomで「笑顔相続道」関東10期の第2回を受講していました。
私は関西9期の受講生だったので、関東の先生方の講義は初聴講で非常に楽しみにしていました。
実際に学ぶと、関西の先生方とは相続に対する切り口や表現が違って非常に興味深い話を沢山聞きました。
講義の中で最も印象的だったのは、税理士の高橋大祐先生が相続対策を受任するための方程式として出された「100%の信頼=5%の知識+95%の自信」という式です。
先生が相続を学ぶセミナーに行って熱心に学んでいる人を他のセミナーでも見かけたりするので、実務の話を振ってみると「いやあまだまだ勉強不足で」と返ってくる。
こういう人はいつまでも勉強ばかりで実務をやってみようとしないし、学んだことが実務のどこに活きるのかが分からない、という話でした。
最低限知っておかなければならない知識はあるけれども、そこは押さえた上で堂々とお客様に対応して、自分なりのお客様への価値提供をしていく。
その堂々とした自信は決して自分が学んだものだけから生まれるのでなく、相続に対して真摯に向き合う仲間が周りにいるところからも出てくる、というお話でした。
このあたりは関西の講師の細谷洋貴先生が「相続手続の効率的な習得方法は実務を経験すること」とおっしゃっているところに通じると思います。
勉強会に出たり事例研究をするばかりでなく、実際の実務をすることで、学んだとおりのはずなのに段取りよくうまくできないことや、少しだけ派生しているだけの内容なのにどうしていいか悩んでしまうこと、死後の手続をやってみたからこそ生前の手続に活かせることなどが分かっていくということだったと記憶しています。
そして、学んで実務をしてを繰り返して自分がバージョンアップしていってもパーフェクトということは滅多とありません。
根拠となる法令も次々に変わりますし、何よりお客様が毎回異なります。
お客様の悩みや求めているもの、そしてやり方の好みも異なるからです。
私自身の悩みとして、書類作成についてやり過ぎなところがあって、百点満点の書類作りを目指しがちです。
相続手続で銀行の窓口に解約書類を提出して受理まで待たされている間は、修正を指摘されないか心臓がドキドキいってます。
どれくらいのドキドキかというとApple Watchが震えて「高い心拍数が連続していますが大丈夫ですか?」と心配してくるほどです。
提出段階まで自分のベストを尽くしたなら、後は受理側の細かなルールや好みに合わせて修正をかければいいだけのはずなのに、なかなかそうは思えていません。
このあたりはTwitterで有名なプロ奢ラレヤー(@taichinakaj)さんのツイートでも、
こないだ奢りにきた元・偏差値70の現ニートが「昔から何もできない自分が大嫌いで、だから勉強した」「でも、いくら頑張っても上には上がいて、むしろ頑張れば頑張るだけ、上が見えてしまって、心が折れた」と言っており、何もできない自分を許せるようにならないことには救済はないんやなぁ、などと
Twitter プロ奢ラレヤー(@taichinakaj)
ぼくはこれを「成長中毒」と呼んでいる。成長した未来の自分を思い描くことで、どうにか自己否定を避けて生きようとしている人にありがちなんだけど、実はこれが罠で、その成長した未来の自分の虚像が、現在の自分の全てを否定してくるので、常に神経を「せざるを得ない成長」にすり減らすことになるヨ
というものがあって、自分にも当てはまるな、と感じるところです。
書類の受理側だけでなく、お客様もそこまでのレベルでは求めていない、ということが往々にしてあります。
お客様にしてみれば、しっかりと期日以内に、期待レベルかそれを少し超えるくらいのものを提供してほしいと求めているのに、こちらが勝手に期待を大幅に超えるパーフェクトなものを作ろうとして疲弊しています。
こんな風に疲弊するのは、自分一人で、自分の能力だけで、人より優れたものを作ろうとするからだ、と感じます。
私より色々な分野で優秀な人達が沢山いるので、その人達と協業して任せていけば良いのです。
chatGTPはじめ多くの便利で能力の高い仕組みが出ているので、それを利用すれば良いのです。
プロ奢ラレヤーさんのツイートにあった「昔から何もできない自分が大嫌い」という言葉は「本当はできるはずの大好きな自分」というものが裏側にあると感じます。
自分自身、その「できるはずの大好きな自分」=「自分だけでやれてしまう高い能力」という幻想を破っていかないといけないな、と感じました。