滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬・終活のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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昨日、読書を再開したことを書きましたが、最初に読んだのが高田崇史の「QED 百人一首の呪」です。
QEDシリーズは一通り読んだので、犯人などもすべてわかっている状態で読んでいました。
高田崇史はこれまでの主流とは異なった歴史や古典の解釈を踏まえたストーリー展開なので、そこがまた面白いところです。
さっと三時間程度で読み終わるくらいの分量で、読み終わったところで長男が学校の宿題だと言って百人一首の音読を持ってきました。
聞き始めたのですが、小4ということもあり古文の読み方も分かっておらず、それぞれの歌の意味も分かっていないまま、音だけ拾っている感じでした。
読み方や意味は学校で聞いていないのか確認したのですが、何も聞いていないとのこと。
これでは古文の味わいも歌の意味も分からないと思い、ネットで簡単な現代語訳をプリントアウトして渡しました。
学校では何の意図で百人一首に触れさせているのか聞いていませんが、単に音だけを拾うのであればあまりに意味がないな、と感じました。
歌を味わうなら内容のシーンの画像や動画でも見せるべきでしょう。
ひょっとしたらNHK教育の「にほんごであそぼ」を全員見ている前提なのでしょうか。
もっとあっさりしたものなら坊主めくりをして詠み人の名前を覚えるだけでも良いと思います。
カルタをしたいのなら百人一首でなくても良いでしょう。
何も手立てを打たずに古文に触れても、古文嫌いを増やすだけです。
音読を聞かされる親も古文や和歌の素養がなければ子供にサポートもしてやれません。
これこそ親ガチャになってしまうのではないかと感じました。
可愛い可愛い嫁と付き合いだしたころ、夜の川沿いの堤防を歩いていると、嫁から「こうした夜の様子を描いた歌を覚えている」と言われました。
「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の」と問われたので、「長々し夜を ひとりかも寝む」と返すとニコッと笑顔を返してくれました。
子どもたちにも、どうせ百人一首に触れるなら、ちょっとした教養になるように学んでほしいな、と思います。