僕は褒められるような人ではない

滋賀県高島市住職系行政書士吉武学です。
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7月21日のコラムで、神奈川県愛川町の社会福祉法人愛川舜寿会の馬場拓也さんの取組を紹介しました。
記事の中の春日台センターセンターでは、子ども、大人、高齢者、障害者が自然な形で混じり合い、過ごす空間が作られています。
今時の言葉で言えば、多様性のある環境が作られているのだと思います。

文部科学省が、障害のある子どもとない子どもが共に学ぶ仕組みとしてインクルーシブ教育を唱えています。

障害のある子どもは学校が異なったり、教室が異なる、ということではなく、同じ教室で学ぶことにより、障害者を別空間にしようとするのでなく、同じ空間で共に過ごしていくことを感じていくメリットがあると思います。

一方で、障害のない子どもがいわゆる「お世話係」にされてしまい、障害者に対する嫌悪感を募らせたり、授業や学習の遅滞を障害者のせいにするなどのデメリットが見られるようです。

特にお世話係の問題については、心理的に上下関係を作ってしまったり、障害者を世話しなければいけないネガティブな存在と見てしまいます。
また上記の記事の中では、お世話係を先生が指名し「してあげる」存在を作ることが、障害のある子どもにとってもお世話「してもらう」存在を作ってしまうことを指摘しています。

障害があるからサポートをするのでなく、一人の人間として何かに困っている存在がいるから手を差し伸べられるように伝えていくのが、本当のインクルーシブ教育なのでしょう。

私の小学校時代に6年間障害児学級に通う同級生がいました。
身体的には特に差は感じませんでしたが、知的障害がありました。
また、4年か5年生の時にさらに身体に重い障害を持ち、知的障害も持った同級生が入ってきました。

多くの授業の時間は普通学級と障害児学級で別々の時間でしたが、時々、混合で授業をすることがありました。

田舎の人数の少ない学校で、一学年一クラスしかないような所で、先生から指名されたこともあり、私もいわゆる「お世話係」の一人として動いていました。
しかし私は障害を持った同級生を同じ目線では見られませんでした。
知的障害に対して非常にネガティブな感情を持っていましたし、身体に障害がある子のヨダレなどを、汚いと思って、できれば近寄りたくない、と考えていました。
ただ、先生からの「お世話係」としての期待を感じていたので、露骨には出さずにこなしていました。

6年生の時に当時の担任の先生から「学君は●●君のお世話をいつもして偉いね」と言われました。
しかし、心の中では私はその子のことを友達と思えていない、むしろ障害があることで嫌っていたので、非常に心の中がザワザワしました。
傍目にはそのように好ましい児童の姿として見えていたのでしょうが、自分の心がそうでないことを自分が一番知っています。
心の中で「僕は褒められるような人ではない」と考え、何とも言えない気分になりました。

冒頭の馬場さんの取組のように、その人の属性にかかわらず、自然と関わり合って過ごせるようになる社会が好ましいと思います。
そういう「仕掛け」は大事だと思いますが、お世話係のような「働きかけ」によって特別な存在を作ってしまわないように気をつける必要もあるな、と感じました。