研究者の発信を受け取って自分ごとに出来るか

滋賀県高島市住職系行政書士吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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一年のうちには日本のどこかで自然災害が発生しますが、自分自身や親戚、知人など身近な人が被災しない限りはどこか他人事に感じてしまいます。
特に滋賀県は、市民感覚としては災害が少ない県と言われているので、なおさらそのように感じる気がします。

自分自身で身近に体験したのは1995年の阪神・淡路大震災でした。
当時は高校生で、京都で下宿しており発災の直前に目が覚めました。
眠りは深い方だったので、目覚まし時計を見て「なんでこんな時間に目が覚めたんだろう?」と思った瞬間に、ゴーッという音と共に大きな揺れが来て、慌てて布団を頭にかぶりました。
すぐに収まり、部屋や下宿先には特に被害が無かったので学校に向かいました。
学校近くの改札を出ようとした瞬間に友達が「今日は休校になったぞ!」と向こうから走ってきて、そのまま友達とカラオケに行ってしまい、まさかあんな被害が起きているとは思いもしませんでした。

2011年の東日本大震災は滋賀でもそれなりに揺れましたが被害が出るほどでなく、なかなか自分ごととは受けとめられませんでした。
以前のコラムでも書いた陸前高田市の千葉さんのおかげで、数年経っていましたが震災後の様子を見て、何となく心にザワザワするものが残っています。

北大の文学部の同期で定池祐季さんという災害社会学や防災教育を研究している、現在は東北学院大学の准教授をしている友達がいます。
奥尻島出身で、1993年の北海道南西沖地震を実際に経験し、津波の様子などを間近で見たそうです。

私は大学での勉強は真面目にやらなかったので、定池さんがそういう研究をしていると知っているというレベルでした。
卒業後、北海道に行くたびに同期のみんなが集まってくれる中で定池さんもいて、研究の一端を聞いたり、Facebookが始まって、研究者としての道を歩まれている姿をチラッと見ていました。
特に、被災地のコミュニティや人の気持ちに触れた部分について発信されていたと思っています。

先日の毎日新聞で福島県出身の26歳の研究者が「避難者の分断」について研究、発信されている様子を見て記事を読み込んでしまいました。

福島県の中で原発からの距離で国により強制的に線引きされた「強制避難者」と「自主避難者」の間に格差が起きているというものです。
賠償額の金額の差や、福島県からの避難かそれ以外の県からの避難かで甲状腺検査が受けれるかどうかといったことがあるそうです。
また、様々な葛藤の中で非難すると「故郷を捨てた」と言われてしまう人もいたそうです。

記事の中では父親の方針で九州に避難した家族の様子が書かれていました。
放射線や仕事や色々なことを考えて、父親は九州から福島に戻らない、と話すと、子ども達はそれまで自分が思い描いていた福島での将来の姿が壊れることから反発したそうです。
父親がどんな思いで九州に避難したかを理解するのには時間がかかった、と書かれていましたが、理解されない家族や気持ちも物理的にもバラバラになった家族もあったことでしょう。
ただ、そういった避難者や家族の分断が今後起きない未来になって欲しいと思います。

これまで体験したことのない災害の時に、今回のような分断が起きてしまうことはあるでしょう。
そういう被災地の現場で人々に見過ごされがちな部分に光を当てて研究している人達がいます。
私は定池さんのおかげで自分ごとにまでは出来ませんが意識の端が反応できるようになった気がします。

次に災害が起きた時に人々が悲しい思いを少しでもしなくて良いように、定池さん達の研究からの発信を、私たちもまずは少しでも受け取る必要があるな、と記事を読みながら感じました。