除夜の鐘を認めない地域は災害時に助け合えるのだろうか

滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬・終活のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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大晦日の除夜の鐘は当寺では撞いていません。
前住職の時もやっていませんでしたし、御門徒の方が少し離れた集落にいらっしゃるということもあり、やろうと呼びかけても冬の夜に車に乗ってわざわざ集まってはもらえないでしょう。
また、隣接する禅宗の寺院が毎年されているので、当寺の御門徒以外の地域の方はそちらに行かれます。
もう一つの真宗の隣接寺院は大晦日の法要と合わせて午後三時から除夜の鐘ならぬ除夕の鐘を行われていますが、今年はあまり参詣者もいらっしゃれなかったため、振る舞いのぜんざいを食べに来ませんか、と連絡が来ました。

新聞記事では、毎月二回の早朝の鐘に五月蠅いと警察を通じて苦情が入ったことから、除夜の鐘を中止にしたことが書かれていました。
単なる苦情だけならここまでにはならなかったのでしょうが、ある月に鐘を撞いた数時間後に墓地の手桶全てが燃える不審火が起きたことから大事になるのを避けるため中止にしたそうです。

近くに住む方に取材されると五月蠅いと感じたことはないとか、そもそも聞こえない、と言われます。
寺院としても苦情を言いに来てくれれば話し合いも出来るが、警察に苦情を伝えるだけではその人との話も出来ない、と困られています。

同様のケースは地域の盆踊りにもあるようで、五月蠅いと何度も110番通報がされたため、話し合いを持ちに行ったそうですが「祭りが好きではない」「頭が痛くなる」と平行線で終わったそうです。
開催しようとした方は単なる賑やかなイベントをしたかったわけではなく、盆踊りが言葉や年の差を超えて楽しめて、地域の繋がりを作るためだったといいますが、理解してもらえないようです。
また、除夜の鐘や祭りなど人為的な音ならともかく、都内では隣家の池の蛙の鳴き声が五月蠅いと裁判になったり、音響式信号機が一部の時間で無音になって事故が起きたりしたそうです。

こうした他人に不寛容な関係性は日常であれば問題ないケースが多いでしょう。
しかし、今回の能登半島地震のようなケースではどうでしょうか?
いつも使えるはずの電気も水道も十分には使えず、警察・消防・救急・行政も深刻度が高いところに行く必要があるので、多くの人は自助と共助を求められます。
家に被害が無く、ライフラインが止まっているだけなら自助で何とか出来る部分も大きいでしょう。
しかし、地震や津波で家に被害があれば避難所に行かざるを得ず、そこでは同様に困った人達が集まっているので、互いに譲り合いながら共助を展開していくしかありません。
先ほどの苦情を言っていた人はここでもまた行政などに苦情を言うのでしょうか?

今回の地震で多くの避難所が開設されており、しかも家が壊れているため長期化するところが数多く出るでしょう。
農村部が多いため地域の繋がりがまだまだ残っているところだとは思いますが、高齢化率が高い地域でもあります。
以前の記事では、被災直後の自助・共助は成り立っていても、その後が高齢者の気力・体力が続かないためその後の対応が何も進まないことが報道されていました。

日常時では地域行事などは煩わしかったり、自分が求めていないものかもしれませんが、非常時の繋がりの下支えになるものとして今少し寛容の気持ちを皆が発揮してくれれば、と思います。