滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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郷土の偉人、中江藤樹先生の本来の名は惟命、通称は与右衛門と言い、屋敷の庭にあった藤の老木から弟子達が「藤樹先生」と呼ぶようになったと言います。
この季節、藤樹先生の地元の安曇川町ではあちこちできれいな藤棚があります。
車で少し遠出して山道を走ると、山の木々の間に藤が見え、きれいな花を咲かせているのを見かけます。
美しさとは裏腹に、林業をしている人の間では、自分の山に藤を生やしておいたら恥だ、と言います。
藤は木々にツルを巻き付け、いつしか絞め殺すようにその木を枯らして倒してしまいます。
そして、自身は枯れずに次の木を求めてツルを伸ばしていくのです。
林業関係者が山に入る時には必ず鉈を持つそうですが、理由の一つは藤のツルを見たらすぐに切るためだ、と聞きました。
藤と同様にツルを伸ばす植物が葛です。
葛や藤のツルが絡み合って解けない様子から、相反する気持ちで心が落ち着かない状況を「葛藤」と言います。
また、仏典を見ると、先ほどのツルが木々を枯らす様子から、私たちが正しい道を歩もうとするのを邪魔する「煩悩」の意味で使われることもあります。
葛藤する気持ちを収めていく手立ての一つは、身体を動かすことだと思います。
特にその中でも掃除は、手順が決まった作業を無心で行うことができ、掃除場所が目に見えて美しくなるという効果が出ます。
私の2月15日の投稿「脳を休ませる」でも、紹介したパパ頭さんの奥さんが育児で疲れた脳が窓掃除で休まっている様子が絵が描かれていました。
仏教における掃除と言えば、禅宗で言われる「作務」が代表的かと思います。
落ち葉などで散らかった庭を掃き、風雨で汚れた堂宇を拭き、元の様子を取り戻します。
また、日々使う道具なども元ある場所にきちんと片付けます。物の片付けをして、その性質を見極め、あるべき場所を見定め、そこにきちんと配置できると心が落ち着きます。
逆に落ち葉一つ、小石一つでも、あるべき場所ではないところにあると、心がザワザワします。
掃除一つにしても、手順を定め、日々同じ手順で行います。
その手順が無駄がなく、美しくなる、ということもあるでしょうが、同じ動作を行っても、日々の心の動きで全く同じ動作とはなりません。
なぜ同じ動きとならないのかを感じ、今、心にあるのが喜びなのか、怒りなのか、悲しみなのか、楽しみなのか、迷いなのか、戸惑いなのか、などを見つめ直すことが出来ます。
そしてその様々な気持ちが絡まっている様子を明らかにして、解きほぐしていくことが、すなわち葛藤を解くことではないでしょうか。
林業関係者の方が鉈で一刀両断するように、心の葛や藤を切ってしまうことはなかなか出来ません。
また思索にふけっても、新たなツルが生まれてきてますます絡まってしまいます。
身体を動かすことにより、図らずも心の様子を客観的に観察することができ、結果として心を整えることができます。
あなたは自分の心を絞め殺そうとしている藤のツルをそのままにしてはいませんか?