滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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人生の中で「運が良かった」レベルの中でも特に「まぐれ」のレベルでラッキーだったことはないでしょうか。
私は間違いなく浪人した年の大学入試です。
そのため今でも夢に見るのです。
現役の時には京大の前期試験を落ち、筑波大の後期試験を受けました。
京大を落ちたのは、まあ実力どおりかな、という所もありましたが、筑波大は午前と午後で小論文2本だったので正直楽勝でした。
でも、筑波大は遠かった。
私の頃にはオープンキャンパスなども一般的ではありませんでしたし、受験日に初めて行く大学がほとんどでした。
東京からいくつか乗り継いで、最寄り駅からも結構な距離のバスに乗った記憶があり、受験日に「たとえ受かっても、ここは入らないかな」と考えていました。
浪人して引き続き京大を目指したのですが、真面目に勉強せず、あまり学力は上がらず、センター試験もちょっとクセのある年に当たってしまったので、イマイチでした。
二浪は出来ないので、センター試験の結果から考えて、なおかつ自分が得意な国語の比重が高いところ、という点から北大文学部を選択して受験しました。
国語が現代文2本、古文が2本、漢文が1本で、それは国語好きな私には問題なかったのですが、英語があまり手応えを感じず、どちらかというと「落ちたな」という自信のない感じで受験を終えました。
合格発表の日、札幌に見に行くか、大学からの郵便を待つかのどちらかで、もちろん郵便待ちです。
北大からは大きな封筒と小さな封筒が来て、なぜかよく分からなかったのですが、とにかく小さい封筒を開けると「合格」の文字。
大きい封筒を空けると、入学手続の書類が入っていたので、先にこちらを開ければ、もっと早くホッと出来たかもしれません。
ちなみに微妙と思っていた英語について大学の同級生に聞くと「僕らの年は簡単でラッキーだったよね」と言われて、それ以上何も言えなくなりました。
大学に入っても勉学には怠惰な私。
太陽が昇っている間は、大学傍の雀荘と大学裏の札幌競馬場を行き来し、太陽が沈むと学生相手の飲み屋街に行く日々でした。
大学1年の初っ端の英語を落としかけ、これを落とすと大学入学4ヶ月でいきなり留年が決まるかも、というヒヤヒヤの状況でした。
補講と再テストで何とか許してもらいましたが、以後も辛うじて単位を取るレベルで揃えていきました。
大学4年の時は一応単位の計算をして、全て合格なら卒業となっていたので、卒業式の名簿一覧に自分の名前があってホッとしました。
さて、こんなレベルで大学を入学・卒業したので、今でも夢によく見ます。
それも落ちた夢ではなくて、このままでは落ちてしまう、という不安な気持ちで過ごす夢。
たいてい結論が出ないままで目が覚め、大量の汗をかいています。
もう過去のことで、結果良ければ全て良し、と考えられるといいのですが、私は日頃でも些細な過去の失敗を思い出してクヨクヨしているので、なかなか気持ちをアップデートできません。
どなたか心理学の臨床の先生などで、上手く導いてくださる方がいれば是非教えてください。