人が集まるから施設が必要であり、施設があるから人が集まるわけではない

滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬・終活のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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昨日は当寺の「尼講」でした。
新型コロナの影響で開催できなかったり、簡易な形でサッと終えたりしていましたが、ようやくコロナ以前の形で実施できました。
尼講は当寺の女性門徒の方が一年に一度集まり、女性だけの報恩講をお勤めするという形で行っています。
全国的には毎月開催されたり、仏教賛歌などを練習して仏教行事の際に披露されているところもあるようです。

歴史的には天保3年(1832年)に結成されたものが最初のようですが、当寺の尼講がいつからかは分かりません。
ただ、現在お集まりいただいている方にお話を聞くと「お寺の集まりだから、家の用事を抜けて来やすい」「昔はこれだけ女性が集まれる場がなかった」など楽しみにされている様子がうかがえます。

また、先代住職は女性の報恩講だからということで、お土産としてお菓子やミカンを袋に入れて渡していました。
私の代になってからも何かお土産を準備しようと考え、可愛い可愛い嫁に相談しては、女性が本当に喜ぶであろうものをお渡ししています。
今年は「たねや」のたねやカステラをお渡ししたところ、「たねやは地元滋賀県のお菓子屋だけど、自分の家用には買わないので本当にうれしい」と言っていただけました。

今日の尼講は10人の方が起こしになられました。
私が住職になった12〜13年前は20人以上の方がお見えでしたので、大分少なくなりました。
これは、尼講だけでなく報恩講や永代経、彼岸会など法要全般でお見えになる方が減っています。

理由はいくつかあります。
今までお見えだった方がお年を召されて身体が動きにくくなったり、病気をされたり、車が運転できなったりしています。
人によってはお亡くなりになられました。
次の世代の方は、地元に住んでおられないことが多いため、世代交代も行われません。

新型コロナ以前はお寺の行事は面倒くさく感じても行くことが当たり前でした。
新型コロナ以後はお寺の行事だけでなく、他の集まりも行かないことが当たり前になりました。

仏様の教えをもとに集まる人のグループを「僧伽(サンガ)」と言います。
仏教の三宝は「仏・法・僧」ですが、僧はお坊さんでなくこの「僧伽」を指しています。

仏教の教えに集う人達がいるので、集まりやすいように本堂などの寺院施設が必要となります。
施設があるから人が集まるわけではありません。
ウチの子どもは毎日、保育園に楽しそうに通っていますが、そこに集う友だちや先生と会いたいから行くのであって、立派な施設があるから行くわけではありません。

社会情勢の変化、家族構成の変化、新型コロナの影響など色々な要素がありますが、多くの人が集まらないと仏教集団の僧伽としてのお寺の意味はないと思います。
元の形に戻そうとしても、諸行無常で常に変化し続けるので同じようには出来ません。
変化した中で新たな形を模索して、多くの方が集まる様にしていきたいと思います。
そのためには「たねや」のお菓子も時には必要でしょうね。