忖度せずに気持ちを伝える

滋賀県高島市住職系行政書士吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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昨日の投稿に登場した次男の発言にはしばしばドキッとさせられます。

保育園での様子を尋ねて仲の良い友達との話を聞いた後に、「(次男)は●●君の事が好きなの?」と聞くと、即答で「うん!好き!」と答えますが、「じゃあ●●君は(次男)の事が好きなの?」と聞くと、スッと冷静な表情に戻り「それは分からない」と返してきます。
自分が相手の事が好きでも、相手が自分をどう思っているか分からない。
次男の言うとおりなのですが、私たちは相手も同じように自分の事を思っていて欲しい、と期待してしまいがちです。

また、以前から担任の先生の話もよくしてくれるので、4月になって新しいクラスの担任の先生について「(次男)は■■先生の事は好き?」と聞くと、また冷静な表情に戻り、「まだ分からない」と返してきます。
たしかに新年度が始まって、新しい先生とまだ二週間も一緒の時間を過ごしていません。
まだ先生との関係性を子どもなりに測っている所なのだと思います。
自分自身の小さかった頃を振り返ると、親から聞かれた時は自分の気持ちよりも、親がどういう答えを期待しているかを考えて「忖度」した返事をしてしまっていました。

次男は第三子という事もあり、周りの事がよく見えています。
周りの動きやそれに対する大人の反応を見て、自分がどう振る舞うべきかの理解が兄姉よりも早いと感じます。
私も第三子だったので、次男の気持ちの動きがよく分かります。
ただ、私は周りの様子や大人の期待を感じて自分の発言や行動を変えていました。
次男は周りの事は見つつも、自分の気持ちをしっかりと伝えてきますし、しかも独りよがりではありません。

少し前までの世の中の当たり前は、社会のために個人や個人の考えは一定抑える事が正しい、とされてきました。
社会というよりも、日本独特の「世間」というものを見て行動や発言をしていました。
次男は「世間」は気にしていません。
しかし、保育園での活動などを通して、「社会」に対する協調性は持っています。
社会を尊重しつつも、自分を殺すような事はしていないのです。

私が独立開業した理由の一つは、時間や仕事の内容を自分で決めていける立場でいたい、と思った事です。
先月の九州旅行も時間拘束されている立場では行けません。
また、「世の中が年度末で忙しい時に、旅行という娯楽に行くと視線が厳しいのではないか」と「世間」に忖度していても行けません。
今は、仕事に対する一つ一つの決断も、自分が責任を持ってスピーディーにする事が出来ます。

私たちは年齢が上がると自分を殺す事を「大人になる」と表現しますが、単に他人との軋轢を避けているだけだと感じます。
本当は次男のように、社会を尊重しつつも自分を発露させていく事が大事なのだ、と、子育ての中で気付かされました。