滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬・終活のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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元日の修正会のお参りは例年よりも少し少なめでした。
いくつかの理由が思い当たります。
まず、一つ目は高齢になられて足腰が弱られたりしてお参りできなくなった、または亡くなられたもの。
先月のお参りまではお姿を見ていても、こけて足をケガされたりもしますし、そのことで筋力が弱って外出が少なくなる方もよくいらっしゃいます。
また、檀家軒数が少ない当寺でも昨年は三件のお葬式を執り行いましたので、やはり高齢により亡くなられる方も増えています。
二つ目は、一つ目の次の代の方が地元におられないというもの。
次世代の方が地元でお仕事をされていたり、定年退職後に遠方通勤する必要が無くなって地元に長い時間おられるようになったりすると、お寺参りも世代交代されることがあります。
しかし、都市部に生活の拠点を構えられ、こちらへは何かの機会にたまに帰るだけとなると、年末年始の実家への帰省も少なくなります。
必然、一つ目の理由で来られない方の次の世代も来られなくなり、その家で元日にお寺参りするということが受け継がれなくなります。
三つ目は、新型コロナの影響によるもの。
新型コロナまではお寺行事の案内を出すと、皆さん、邪魔くさいと思いながらもお参りするのが当然である、という意識でした。
しかし、新型コロナで多くの人が集まることを禁じられる期間があり、お参りをしない時期が出来ると、お参りしないのが当然である、と変わった気がします。
お参りしないことが当然で、自分がお参りしたい時や用事がある時だけお参りされるようになると、やはり参詣者はグッと減ります。
以上の三つの理由は時代の変化により出てきたものです。
特に二つ目の影響が大きく、今後の参詣者の更なる減少が見込まれるため、何とも暗澹たる気持ちになります。
これに抗うために、多くの人を集めるイベントなどを開催するところもあります。
イベントよりも地道に法話の聞法会などを定期的に開かれて多くの聴聞客を集めているところもあります。
ただ行事を継続的に行うために参加者として参加費を払ってくださる方はいても、お寺という組織を維持するために継続的な負担をしてくださる、いわゆる檀家になってくださる方は多くはありません。
昔、法話などを聞くためにみんなが集まれる場所が必要だ、と作られたのが、浄土真宗のお寺だと思いますが、今や人を集める手立てを打たなければならなくなっています。
時代の流れの中でお寺の統廃合はどこかでさらに加速します。
それは仕方のないことではあるのですが、生き方を考えるために法話を聞きたいという人は、いつの時代でも必ずいらっしゃいます。
その方が求めた時に、お寺という組織や建物でなくても、法話を聞きに行ける仕組みがあるように考えなければならないな、と感じた元日でした。