多様性が失われる大学

滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
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北大、東北大、東大、名大、京大、神戸大、九大は戦前、帝国大学と呼ばれ、現在は旧帝大というグループとなっています。
この旧帝大に東京圏(埼玉、千葉、東京、神奈川)の高校出身者からの進学が伸びており、地方高校出身の伸び率よりも高くなっていているという記事が出ています。

東京圏には従来からの進学校と呼ばれる私立校があるほか、公立校に対しても自治体が指定校として強化を始めています。
それだけではなく、そもそも学習塾も各学力段階で多様に存在します。
そもそも生徒数の絶対数が多いので、切磋琢磨も起きますし、最終の合格者数も多くなります。
同じようにできる子たちがいると慢心することなく、自分の学力の位置を確認しながら勉強することができます。

地方で勉強ができる子もどんどん伸びますすが、同様にできる子たちが少ないので切磋琢磨が少なくなります。
また学習塾も限られます。

一方で、同じような高い学力を持つ生徒ばかりが集まり、同じような環境で育ってきた人ばかりで過ごすことになると多様性が失われていきます。
色々な社会階層や、家族背景や、地方文化に触れることなく社会に出ていくことも懸念されます。

アメリカの大学は基礎的な学力試験以外は面接等の選抜が中心なので、多様性が生まれるように見えます。
しかし、YouTube番組でアメリカの大学の教授が、現実にはそうはなっていない、と語っていました。
ボランティアなどの体験活動や、学生起業の経験が評価が高いとなれば、そのことをビジネスとする会社がそれらを商品として提供するようになり、お金持ちがそれらをお金で買うようになります。
結局、富裕層がお金を使って、学力向上だけでなく、体験活動なども含めて条件を満たしてしまうので、多様性が失われるというのです。
そうした点では日本のペーパーテスト一発の選抜の方が、アメリカよりもまだ多様性が生まれやすい、と結論付けていました。

元々は多様性が生まれるように設計されていたものが、時が進むにつれ対応されてしまい、多様性が失われていくようになっています。
多様性のある人材が優秀な大学に進学し、影響力の大きい官庁や社会の主要な企業や新興企業などに進むことにより、多様な市民に対する政策や社会活動が生まれます。
どうやって多様性を生むのか、そのためには公平な選抜と言うものを多少犠牲にする必要があると思います。
多様性を獲得するために、どのレベルまで不公平感を許容できるか、試される社会になってきていると感じます。