死んでモノとなった遺骨

滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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遺骨の埋葬場所に困り、電車の網棚やコインロッカーに置き去りにされていることが記事になっていました。

・プレジデントオンライン 「電車の網棚にわざと遺骨を置き忘れる人の動機」 2019/12/28

ケースによっては、公共トイレに遺骨を流したものもあったようです。
上記記事では、その行動を「罰当たり」と書いていましたが、そうせざるを得なかった人達の事情を何も汲み取っていないと思います。
埋葬に何かしらの費用がかかるので、その分を負担できない人達が置き去りをしてしまっているのでしょう。
ということは、費用を払える経済力を持っている人は罰が当たらず、経済力がない人は罰が当たって、救われないという理屈になります。
罰という観点で考えてしまうと、仏教の誰もが救われる、という点からズレてくる気がします。

こうした事態を受けて、自治体が公営の合同墓を整備する動きが見られるようですが、整備前から申込みが殺到している状態とのことです。
「墓じまい」という言葉も出てきましたが、元々の出身地から離れて居住地を構えられる方がほとんどとなり、出身地にある以前からのお墓の管理ができなくなってきています。
元々は家督相続で、家や田畑をはじめとする財産と共に、仏壇やお墓や法要などの祭祀についても長子が相続していました。
財産を受け継ぐのだから、祭祀に関する義務も受け継いでいたわけです。
これが法定相続人による分割相続となったため、財産は分け合おうとしても、祭祀財産については継承したくないと考える人が多くなりました。

お墓、仏壇がどの家にもあるようになったのは戦後のことでしょうし、お墓で区画が整備され石材によるお墓が多くなったのも戦後でしょう。
20世紀になってからの短期間で急激に普及し、その間に社会環境、家庭環境が大きく変わることになって、普及後の事情と合わなくなってきたのです。
そうした中でお墓、仏壇、遺骨が「モノ」として取り扱われ、モノの管理が負担だと感じられているのだと思います。

新聞記事で埋葬に関して、ドイツと日本の受け止め方の違いが書かれていました。

・毎日新聞 滝野隆浩の掃苔記「祈りと記録の場として」 2023/07/23

日本では火葬許可証や埋葬許可証など死後の火葬埋葬に許可が与えられるだけですが、ドイツでは埋葬の義務があるそうです。
そのため、ドイツでは亡くなった人の埋葬地である「場所」が確定します。
一方で日本では義務ではないため、遺骨を家に置く「手元供養」もできます。
そうして法律上、遺骨は「物」として扱われ、故人より子孫たちの都合が優先されるため、結果として、日本の遺骨は、常に動かされるリスクにさらされているというのです。

これを上手く言い表されたのが、記事中にあった
「ドイツでは、人は死んでバショになり、日本では、人は死んでモノになるんです」
という言葉です。

ドイツのバショという言葉と結びつくのが、ドイツ型樹木葬墓地です。
日本の樹木葬は、墓地の周りに木が植えてあり「墓地を森っぽくしただけ」ですが、ドイツでは森林保護が前提で墓地もいずれ森の一部となっていくので、「森をお墓にした」と言われます。

墓地に埋葬されたいという人でも「この場所(エリア)に埋葬されたい」と思っていても、「この区画に埋葬されたい」とまでは思っていないのではないでしょうか。
墓地区画や墓石やネットという入れ物の中に亡き人がいると考えるのでなく、あそこの森、森を通じた自然に亡き人が存在すると考えられるドイツ型樹木葬は色々と考える一つのヒントなのではないかと思います。