使わないカバンをなぜ持ち歩くのか

滋賀県高島市住職系行政書士吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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僧侶YouTuberと介護YouTuberの対談記事を見ました。

「寄り添う」ということをテーマに話された部分で、介護の現場における「寄り添う」は「理由を知る」ことが大事だと語られていました。

現場で利用者の方が必要が無いのにカバンを持ち歩くということがよくあるそうです。
レクリエーションやトイレの際に使うわけでもないので、周りは「使わないから」といってしまいがちです。
しかし、よくよく聞くと、連れ合いさんの写真が入っていたり、手洗いの後のハンカチを入れておかねばという、本人なりの理由があって持ち歩いているというのです。

周りの職員の思いだけでは見えない、本人が見えている世界について思いをはせることが大事ではないかと語られていました。

これに対して僧侶の方が「利他」という言葉で説明されていました。
東京工業大教授の伊藤亜紗さんが、著作の中で利他を「うつわ」と表現され、自分がやりたいケアを押しつけるのでなく、相手の思いを受け取る器を用意しておく、と表現があり、これが先ほどの「理由を知る」に通じていると解説されていました。

伊藤さんの著作で「目の見えない人は世界をどう見ているのか」という本を以前に私も読んだことがあり、うろ覚えではありますが、そんな表現があったと記憶しています。

障害を持つ人は弱者だから助けてあげよう、という善意の人に対して、善意を受ける側は、いつも助けてもらう役割を演じないといけなくて辛くなってしまう。
善意のかたまりという利他は、相手をコントロールするための道具になってしまっている。
善意を向けるのは悪いことではないが、そこで相手が想像している反応でなくても、自分の中に余裕を持って、それを受け止めるようなスペースをいつも用意しておくことが大事、といった内容だったと思います。

この話は決して介護にとどまらず、人の関係性全般に言えることだな、と感じます。
忙しさで余裕がなくなってきた現代において、相手が自分が期待する反応をするように求めながら声をかけています。
そして、期待する内容と僅かでも方向が違うものが返ってきたり、求めている水準ではないものが返ってくると、相手に対して低い評価を出します。

仕事において、こういう対応をしていくということは、相手に機械的な反応を求めている、ということです。

自分にも相手にも無駄のない効率的なふるまいと、それに対する効率的な反応を求めるのでなく、不確実な反応があると想定して「うつわ」を作っていく。
出来ることであれば、その不確実さを楽しめることで、穏やかな関係性作りが出来るのではないかと感じました。