滋賀県高島市の住職系行政書士の吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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私のコラムでは何度か、子どもの宿題をテーマにして書いたことがあります。
学力の定着など何らかの意義はあるだろうけれども、全員に一律に、しかもそれなりの量を出すことに意味はあるのか、と疑問を呈してきました。
ウチの子どもたちも、学童の学習時間で終えられない分を家でやると、遊ぶ時間が短くなり非常に不満そうな顔をしています。
小学生の子どもを持つ新聞記者が、子どもの宿題についての問に明快に答えられず、宿題の意義について専門家に取材する記事がありました。
・毎日新聞 記者の目「毎日、宿題をする意味って? 自ら考え楽しめる学びを」2023/10/13
記事の冒頭で「どうして大人は計算機を使うのに、子供は筆算をしなくてはいけないの?」「スマートフォンやパソコンで変換できるのに、漢字を書けるようになる必要があるの?」と子どもからの質問があります。
私自身で答えを考えてみるのですが、計算の途中の過程を理解するため、とか、漢字の正確な形などは手で書かないと覚えられないため、といったぐらいでピンとくる回答はありません。
学校の先生に尋ねてみると、定着のためとか机に向かう習慣を付けるため、といった答えを聞きました。
ちょうどこの記事を見た頃に、校長先生を退職された方とお話しする機会があり、疑問をぶつけてみました。
その方は同じ学校の教員に対し「本来は授業の中で定着させて家に帰すもの。宿題を利用しないと定着ができないとなれば、保護者から疑問を投げかけられる」と言っていたそうです。
専門家へ取材すると「先生から言われた通りのことをやる時代は終わる。子供に力がつかないから。自分で考えて、判断して勉強しないと生きていけない」と返ってきています。
また「毎日やる意味もない。大人だって必要となれば休日でも徹夜してでもやる」とも言われます。
結局の所、この「生きていく」ための力をどう身につけるかが、学校での学びであり、宿題の意義だと思います。
これまでの時代は、社会に出てから必ず正解がある業務や問題が起こり、そこに対していかに素早く「処理」できるかが、社会で「生きていく」力だったと思います。
現代は、そもそも正解があるのかどうかも分からない問題に対して、問と仮説を立てて、繰り返し挑戦していくことが「生きていく」力になります。
そういう点では、スマートフォンやパソコンで処理の部分を担当してもらうことができるので、それ以上の価値を生み出すことができれば、自分で計算したり漢字の筆順を覚える必要はないのでしょう。
逆に問も仮説も立てられず挑戦もできない、パソコンの劣化版のような仕事しかできないとなれば、パソコンに使われる側の存在となってしまいます。
ウチの二番目の子どもがちょうど九九を習う時期なので家でも練習しています。
宿題として出された量を見ると、各数字の段を2回から5回練習することになっています。
しかし、子どもにそのままの順で読ませても、バラバラにして聞いてみても、スラスラと答えています。
十分に理解しているのに決められた回数をやることもないな、と思い、途中で打ち切って親が確認したというサインを書いておきました。
もうそこまで分かっていれば後はパソコンの領域だと思います。
単に計算や処理するだけでなく、ChatGPTも子どもたちの世界に取り入れていかなければならないでしょう。
これまでは手作業が必要だったので、九九や漢字を道具として使いこなす能力が求められていたでしょうが、今後はパソコンを道具として使いこなす能力が必要です。
そういう意味でも宿題の内容を自主的に決めるところからトレーニングを始めるのは一つの方法ではないでしょうか。