仕組みがあっても気力が無ければ始まらない

滋賀県高島市住職系行政書士吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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九州で記録的な大雨が降り、災害が多数発生しました。
何とか命の被害がありませんように、と祈るばかりです。

最近、全国的に地震の被害も続いているように感じます。
特に石川県では数年おきに規模の大きな地震が起きています。
調べてみると1985年から定期的といってもよい頻度で繰り返し発生しており、2007年は規模も大きく能登半島沖地震という名称が付いています。

この時、現地の市役所のサポートと自分のまちの防災や被災時の知識として活かすため、市役所からの派遣のメンバーとして災害発生後数日してから現地に行きました。
その時はトラック2台とスタッフが乗り込むバスで行ったのですが、トラックだけではたいした量は積み込めず、名古屋市から派遣されていたパッカー車が活躍する様子を見ました。
また、現地の市役所職員の方が私たちのような外部から来た人に指示を出したりするために手を取られてしまう様子を見て、被災地へのサポートの難しさを感じました。

災害時によく言われるのが「自助、共助、公助」です。
今回の石川県の地震では自助と共助が成り立ちにくくなっていることが報道されていました。

石川県の能登半島の先端に行くほど高齢化率が高まり、自分の家の防災対策も進んでいないと言います。
例えば、家具の固定であったり、防災用の持ち出し袋の準備であったり、ということが体力・気力の低下から出来なくなっているそうです。

また、上記の新聞記者が取材中に「この先、何年生きるか分からないし、今更何かしても仕方ない」と高齢男性が話され、胸を締め付けられる思いをしたと書かれています。

自らが出来ないことを地域で助けていくのが共助ですが、同じような高齢者ばかりなので「老老介護」状態で進みません。
被災直後こそ何とか助け合うことも出来ますが、継続的には難しく、家の片付けもできず、そのままで暮らしている方も多いそうです。

記事では「公助」による防災の推進が必要とまとめられています。

ただ気になるのはやはりこの地域に住む人達の気力が萎えてきていることではないでしょうか。
たとえ老老介護状態であっても、自分たちで何とかしていくのだ、という気力があればサポートしていくことが出来ます。
逆に気力が落ちているところでは、公的機関がいくら呼びかけても、何も進まないでしょう。

単に防災と言うことにとどまらず、生きる気力を湧き起こさせる、という施策が求められている気がします。