心の壁が差別に発展し、いつしか犯罪に繋がる

滋賀県高島市住職系行政書士吉武学です。
遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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昨年から今年にかけて高島市で開催された「未来のジャム」というイベントの第2回のゲストスピーカーで来られた、神奈川県愛川町の社会福祉法人愛川舜寿会の馬場拓也さんの取組がNHKで紹介されました。

「”無意識の壁”を取り払う・施設の試み」というタイトルで、春日台センターセンターが取り上げられました。

ここは、高齢者のグループホーム、障害者の就労施設、子どもの教育施設、居場所、コインランドリー、コロッケ屋さんなど多様な要素が入っている施設で、それぞれが切り分けられているのでなく、それぞれの利用者が自然と混じり合って交流する施設となっています。
放送では、その交流が起きやすくするために、建物にガラスや吹き抜けなどを多用し、高齢者施設の窓のすぐ傍に縁台を置いてちょっとした会釈が交わされたりしていました。

きっかけは、施設の隣接市である相模原市の津久井やまゆり園の事件でした。
事件の起きた障害者施設や馬場さんの経営する高齢者施設は高い壁により世間と隔絶されています。
それは、施設や入居者を攻撃しようとする人から守るためのものであったはずなのに、その元職員という内側の人間により事件が起きてしまったのです。
物理的な壁によって、地域と施設が分断されることにより、気持ちの面でも壁ができてしまっていると考え、後に壁を壊す作業を一つのイベントとして見せ、実際に壁をなくして地域と施設の交流を徐々に作っていかれました。

この徐々にというところを、番組でも話されていました。
社会の変容はすぐには起きない、じわじわと醸成されていくもの、と表現されていました。

津久井やまゆり園の事件は、仏教界にも大きな衝撃でした。
犯人は、障害者には生産性が無いとして、生きることに条件付けをしていました。
私も法話ではしばしば、人間の価値に経済合理性が持ち込まれるため、高齢者・障害者などが価値が低いものとして扱われる、という話をしますが、それを極論まで突き詰めて犯罪に及んだケースだったのです。
ただ、私自身が同じような極論まで考えない、と誰が保証できるでしょうか。
あの犯人の姿は私自身かもしれない、と思うと戦慄しました。

今回の放送の中でセンターのコインランドリーで働く職員の方の中に元やまゆり園の方がいらっしゃいました。
障害者に本当に向き合えていたか、”寄り添っていたつもり”になっていなかったか、と自分に向き合われていました。
障害者と共に働く中で正解が分からず右往左往している、とも話されていました。

この点も経済合理性から考えれば、正解はほぼ限られたものになるはずで、それを無駄なくできる人が優秀な人となります。
しかし、そんな経済合理性を優先した社会が本当に自分が望んでいる社会なのか、生き方なのか、という想いがあるからこそ、正解が分からない、という日々を過ごされているのだと思います。

間もなく事件から7年が経ちますが、高齢者施設や障害者施設に入る人達と心の壁がわずかでもあるならば、私たちがあの時の犯人と同じ行動をしてしまうのではないかと、テレビを見ながら考えていました。